「制作者としてのアイデンティティやプライド」は、クリエイターとしての誇りや自我を打ち砕かれるという影響が出ているということだ。クリエイターにとって番組は「わが子」も同然だ。そのわが子が旅立ってゆく場が「放送」である。

だが、その“栄光ある”場であるはずの放送において、CMはすべてACジャパンに差し代わり、提供ベースからは企業名が消える。これは嘆かわしいことだ。「何のために日夜苦労して、番組を作っているのか」と虚しさに襲われるだろう。

まるで村八分…

「取材先」は、バラエティなどで撮影交渉をしても「フジの取材は受けない」と断られることが増えているということだ。ドラマの現場においても、撮影場所の「交渉先」から「フジには貸さない」と言われている。

近年のドラマは制作費削減のあおりを受けて、実在の場所を借りて撮影をおこなう「ロケもの」が増えている。借りられる場所がないと撮影することができない。ドラマ「119エマージェンシーコール」は舞台が消防局なので横浜市と連携協定を結んで撮影をしていたが、番組最後に表示される「協力先」から名前を外してほしいという要請が先方から来た。もちろん、イメージを気にしてのことだ。

ほかにも続々と借りるはずだった「交渉先」から断りの連絡が入り、スタッフは悲鳴を上げている。「このままでは最終回まで撮影がまっとうできるかどうかわからない」という事態に陥っている。ひとつの番組の不祥事でこういった取材拒否が起こることはあるが、全社挙げての状況となると「前代未聞」と言ってもいいだろう。

フジテレビ
撮影=石塚雅人
東京・お台場のフジテレビ社屋

まさに「負のスパイラル」

そして、影響は出演者にも波及している。イメージを気にする俳優やタレントはフジには出たがらない。それはなぜか。俳優やタレントの本当の「食い扶持」はテレビの出演料ではなく、CMの出演料だからだ。だから、出演者はフジよりスポンサーを選ぶのだ。

今回、潮が引くようにスポンサーが撤退したことからわかるように、企業はイメージを気にする。自社のCMに出ているタレントが今のフジに関与していることを「良し」とするわけがない。

一部では、4月クールで決定していた主役級のドラマ出演者がキャンセルを申し出たという報道もされている。ドラマ・プロデューサーをやっていた私にとっては、それがどんなに「恐ろしいこと」かよくわかる。考えただけでも、背筋が凍る。

番組制作には莫大な費用がかかる。特にドラマの制作費はバラエティなどに比べると高めだ。この「制作費」にもしわ寄せが来ている。フジHDの2025年3月期の売上高は従来予想の5983億円から5482億円に引き下げられた。純利益も290億円から98億円に下方修正された。'24年3月期の370億円からおよそ4分の1の水準に悪化するという。