一歩進むごとに、少しずつ自由になっていく
同感だ。この本の後半で説明する「投資」については、私自身、50歳になるまでよく理解できていなかった。資産は貯めていたので、当然、先の表で言えばリードしていた。あなたがそれなりの年齢であれば、私と同じかもしれない。また、成熟した大人のあなたは、お金を使うことが幸せの鍵ではないこと、市場の暴落は恐ろしいが、パニック売りをする必要はないことをすでに知っているかもしれない。
年齢に関係なく、経済的自由を得ることが大きな目標ならば、10年から15年の旅になる。すでに資産を持っている場合はもっと短く、借金を抱えている場合は長くなる。
一歩進むごとに、少しずつ自由になっていくのだ。
この旅はプロセスであり、電気のスイッチのようにパッと切り替えられるものではないということを、ぜひ理解してほしい。最初に小さな一歩を踏み出すと、踏み出した分だけあなたの経済状況は安定する。たとえ厳密には経済的自立と呼べなくても、何も始めなかった場合と比べてあなたの自由度は増し、もっと安定し、今より多くの選択肢に恵まれているだろう。
多くの人が「必需品」に支配されている
経済的自由という魅惑的な選択肢を前にすると、ほとんどの人は「私もやりたい!」と言う。ところが、「道」のこと、そしてそこを歩むために必要なことがわかってくるにつれ、「そんなことは不可能だ」と言い始める。しかしこのあとの体験談が、それは可能だと教えてくれる。
ライフスタイルを確立している人の多くは、「私もやりたいが、家も車も必要だし、子どもを私立学校に入れたいし、海外旅行もしたいし」と言う。まさに友人のケンが言いそうなことだ。別にそれは構わない。あなたのお金、あなたの人生、あなたの決断なのだから。
しかし、私はこれを「必需品による支配」と呼んでいる。人生で必需品と思うものの数が多ければ多いほど、経済的に自立できる確率は低くなる。実際、経済的自立の達成が第一の「必需品」でない限り、そこにたどり着く可能性は低い。それはそれでいい。万人向きの道ではないし、その道をたどる人はごくわずかというのが現実だ。
私がこの道を歩むよう説得を試みた相手は、あとにも先にも一人だけだ。娘である。その努力が実ってありがたく思っている。ほかの人については、それぞれが決めることだ。しかし、経済的な自立が可能だとわかった以上、もしその道を歩もうと決心をしたなら、先を行く私たちはあなたを大歓迎する。