※本稿は、中山祐次郎『医者の父が息子に綴る 人生の扉をひらく鍵』(あさま社)の一部を再編集したものです。
名門中高一貫校に入ったのに、成績は地に落ちた
親愛なる君へ。僕の恥ずかしい話をしよう。
僕は親の努力で立派な中高一貫校(神奈川県の聖光学院)に入れてもらったくせに、中学・高校時代の勉強をさぼったせいで成績が地に落ちていた。全国の同級生が受験する試験を受けると、偏差値は50くらいだったのだ。成績は全国平均だったということだ。中学受験の偏差値68は、日本で上から数えても10番以内に入るような難しい学校に入ったのに、である。
それでも、中学生の間、僕は将来どんな職業につくか、そしてどんな人間になるかを必死に考えていた。せっかく生まれてせっかく生きているのだから、ひとかどの人間にはなりたい。そして、ある程度は経済的に安定した仕事がいい。
こんな考えにたどり着いたのは、僕の母親の影響が大きい。
母は、ことあるごとに、「今勉強しないと、大雨の日もかんかん照りの暑い日も、我慢して外で仕事をしなければならなくなるよ」と言った。そして、「大変な仕事をする人がいるからこの世の中は成り立っている。でも、大変な仕事をする人は涼しい部屋で限られた時間だけ働く人よりもらうお金が多いわけではないんだよ」とも。
もちろん、どんな仕事だって尊いし、どんな職業も等しく大切だ。でも、働く環境が違い、手に入れるお金が全然違う、ということはこの世界の厳然たる事実なのだ。このことから決して目を背けてはならない。
お金とは「嫌なことから身を守る防具」
もしかしたら君は、「お金なんていらない、そんな生き方は汚い」と思うかもしれない。僕もずっとそう思っていた。でも、大人になってからやっとわかったことがある。お金とは「ぜいたくができる武器」ではなくて、「嫌なことから身を守る防具」なのだ。特に、自分だけでなく、自分が大切だと思う人(つまり君たちのことだ)がつらい思いや痛い目にあわないようにするための強力な防具なのである。
お金という鎧は君たちが車に轢かれる危険を減らすし、また、お金という兜は頭を打って死んでしまう危険を減らす。わけのわからない人に攻撃されて痛い思いをする危険を減らすし、咳やのどの痛みがある時に休むことを可能にしてくれる。
話を戻して、僕は「将来は、きちんとお金を稼げて、しかも自分が楽しくて、カッコいい仕事をしたい」と思うようになった。
でも、僕は壊滅的に成績が悪く、特に数学と理科がどうしようもなくダメだった。つまり理系にはまったく向いていなかったのだ。実は、英語と社会もまったくダメだったので、文系に向いているわけでもなかったのだが、それはさておき。