15歳のある日、読んだ新聞記事

そんな頃出会ったのが、本書のエッセイに出てきた「15歳のある日、読んだ新聞記事」だ。記事は、東南アジアのある国について書かれていた。それによると、ゲリラと呼ばれる武装した悪い人たちが村を襲う。村では略奪や破壊をするわけではなく、ただ少年少女をさらうんだそうだ。さらって、男の子は五人組にする。そして一人を決めたら、残りの四人にその一人を殺させるんだ。女の子には子供を産ませ、その子供は兵士に育て上げる。

そんな恐ろしい話を読んで、僕は実家の一階の居間で雷に打たれるような衝撃を受けた。ひどい話だけど、ショックを受けたのはそれだけじゃない。さらわれる少年少女の年齢が、読んでいる自分の15歳という年齢とほとんど変わらなかったからだ。

僕は思った。「なぜこの子たちはその国に生まれてこんな目にあうんだろう。なぜ僕は平和な日本に生まれ、まあまあ裕福な家に生まれ、恵まれた環境で将来のことなんか考えられるんだろう」と。その次に考えたのは、こういうことだ。「なるほど、この世界は圧倒的に不公平なのか。生まれながらにスタート地点は人によってまったく違うのか」僕は絶望した。

新聞紙
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「じゃあ、何ができるんだろう」

こんな不公平が丸太のように横たわる世界。しばらく呆然としたものだ。でも、僕がぼんやりしようが泣きわめこうが、何も世界は変わらない。

じゃあ、何ができるんだろう、と僕は思った。そうだ、この世界の不公平を少しでも減らすような仕事をすればいい。どうやって? 考えてみると、いろんな方法があるように思えた。たとえば「世界一の大金持ちになって内戦や紛争をしているところにお金を寄付する」。

でも、お金を渡したところで争いはなくなる気がしない。お金ではなく、領土や権利、国、信じる宗教といったもっと大きなもので争っているからだ。じゃあ、革命家になってその場所に行き、なんかうまくやってケンカをおさめるという方法はどうだろう。でも革命家のなり方がわからないし、革命家は短命な人が多く、幸せな人生を送っていなさそうだ。

そこで僕は、自分が医者になって現地へ行き、傷ついた人を片っ端から治しまくるのはどうだろう、と思いついた。根本的な解決にはならないかもしれないけど、これは現実的にできそうだし、ちょっとは意味がある気がした。そしてこの道なら日本で医師として経済的に安定した生活が送れるし、親も喜ぶかもしれない。

僕は医者になる、と決めた。