小学校、中学校、高等学校でプログラミング教育が導入されている。どんな意味があるのか。麗澤大学工学部教授として統計学やデータ分析を学生に教えている宗健さんは「自分が何に向いているか、向いていないか、好きか、嫌いかは、やってみないとなかなか分からない。それを判断する良い機会になる」という――。
パソコンのキーボードを操作する子どもの手
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プログラミングには向き不向き、好き嫌いがある

グローバル化とIT化で、いまやプログラミングは必須のスキルだという風潮になっている。小中高校でもプログラミング教育は必修化されており、高校の情報Iは2025年度の共通テストの新たな科目となっている。

しかし、プログラミングが必須のスキルだとしても、おそらく世の中の全ての人がプログラミングをできるようにはならないだろう。

世の中には、どうやっても逆上がりができない人や、どうやっても50m走で10秒を切れない人がいるのと同じように、どうやっても後述する狭義のプログラミングができるようにならない人がいる。

スポーツや音楽に向き不向き、好き嫌いがあるようにプログラミングにも向き不向き、好き嫌いがあるのだ。

狭義のプログラミングとはパソコンで英語のコードを書くことだが、広義のプログラミングとは、アルゴリズム=手順を考えることだ。だから、冷蔵庫の中身を見て夕食の料理の段取りを考えたり、旅行の日程を細かい乗り換えまで考えて作成することもプログラミングだ。

そうやって考えると、論理的に物事を考える人や、一文字でも間違えると動かないプログラムを前にして細かいチェックができるような人がプログラミングに向いていて、逆の場合には向いていないということになる。

また、普通は自分が得意なことを好きになるから、プログラミングに向いていない人が、実はプログラミングが好きだ、ということもあまりないだろう。

小中高での必修化は向き不向きを判断するチャンス

音楽やスポーツでもそうだが、自分が何に向いているか、向いていないか、好きか、嫌いかはやってみないとなかなか分からない。

最近では、そうしたやってみる経験の格差のことを、「体験格差」といい、学校以外での習い事や、旅行などの体験が家庭環境によって大きく異なることが問題視されている。

しかし、プログラミングについては、小学校では2020年度から、中学校では2021年度から、高校では2022年度からプログラミング教育が必修化されているから、少なくともやったことがないから、向いているか向いていないか、好きか嫌いかすらわからない、ということはなくなっているはずだ。

家庭にパソコンがあるかないか、親がパソコンを使いこなしていて、子どもに教えることができるかどうか、といった環境差はあるにしても、プログラミング教育の必修化は、基本的には歓迎すべきことだろう。

しかも、小学校では算数・社会・理科・音楽などの授業に組み込まれる形であり、パソコンでコーディングするわけではない。中学校でもフローチャートを使ったアルゴリズムを学んだりするレベルで、実際にパソコンでコーディングするのは高校からの場合が多いようだ。

こうした段階的な教え方も、向いているか向いていないか、好きか嫌いかを判断するためには適切なやり方だろう。