母と娘のバトルが避けられない理由

私の母の世代は「良妻賢母」が良しとされ、良き専業主婦となることが女の人生の唯一の理想であると、まっすぐ信じられた最後の世代なのかもしれない。それが良かったとも悪かったとも私は言えない。現にその良妻賢母に育てられて今の私がいるのだし――。

そんな世代の母と、私のような「令和出産適齢期世代」は口を開けば喧嘩になる。

母は「本家」に嫁いで四人の子供を産み育てた、いわば良妻賢母界の女傑じょけつである。

信じてきたものが違うのだ。いさかいはほとんど避けられないと言っていい。近所のマダムは適当にあしらっておけばいいとして、身内は会釈でやり過ごすには近すぎて、嫌いになるには相手を知りすぎている。

私はこのような文章を書いていることから分かる通り、良妻賢母世代の母と思想の面で長く相容れないでいる。「勉強ができるよりも愛想よく挨拶ができる子がいい。女は愛嬌」と教える母に反発して、ますますしかめ面になるような子供だったので、この仕上がりは必然である。

母が私を手放しに褒めるのは、「夫に料理を作った」と言ったときや「義母に母の日のプレゼントを贈った」と報告したときだ。仕事でできたことなどを話しても、すごいのねえとは言ってくれるものの、基本的には「お母さんにはよく分からない」というふうでいる。「そんなに働いて旦那さんのご飯はちゃんと作ってるの?」という下の句つきだ。

「女の幸せ」を実行しない意味不明の存在

母にとっての私は「妻としての役割を果たし切れていないのに、夫が寛大だから好きにやらせてもらえている娘」という評価になるし、そのうえ子供を産まないとなると「もはやよく分からない存在」に見えるのかもしれない。自分が「これが女の幸せだ」と信じて当たり前にやってきたことを全然やらないのに、なんだか楽しそうにしているのだから。

長らく、帰省のたびに私が子供を産む・産まないの話で母と喧嘩になっていた。

ふとした会話の折に「一人くらい産んでおけばいいのに」と言われ、「“くらい”って何? そう簡単に言わないでよ」と私が怒る。

小さな甥や姪と遊んでいると「あなたも自分が産んだときの練習になっていいね」と言われ「そんな“とき”は来ない。これは子育ての練習じゃない」と私が怒る。

「近くに住んだら孫の面倒を見てあげるのに」と言われ、「あなたに孫を見せるために私が子育てに苦労するんですか?」とまた怒る。