古い価値観をもつ親に育てられ、高等教育やキャリア形成の機会を与えられなかった女性は多い。社会学者の上野千鶴子さんは「私も、開業医である父の娘として生まれ、愛情はかけてもらったが、お嫁さんになるものとして期待されず育てられた。そんな家父長然とした父に反発してきたが、がんで亡くなる前、父は娘のキャリアを認めてくれた」という――。
社会学者の上野千鶴子氏
撮影=市来朋久
社会学者の上野千鶴子氏

新刊エッセイで綴った「軽蔑していた父親と娘の自分」の変化

私が初めてのエッセイ集『ミッドナイト・コール』を出したのは30年ほど前。そのときは、ある人から「あなたにエッセイは向かないからやめなさい」と言われてしまいました。それがずっとトラウマになっていたのですが、当時は私も若かったですからね。

あれからずいぶんと時間が経ち、編集者のすすめもあって、いまなら歳をとったからこそ言えることもあるだろうと再びエッセイを書き始めました。

自分の人格のマイナーノート(短調)の部分を、そっと差し出すようなものを書いてみたい。そんな思いでつづってきたエッセイをまとめたのが、新刊『マイナーノートで』(NHK出版)です。

この本は、自分の生い立ちや父との関係など、「わたくし」というものをつくったさまざまなエピソードから始まります。父は私のことをとても愛してくれたけれど、人間としては未熟な、かんしゃく持ちでワンマンな男性でした。

私は未熟な父の未熟な愛に振り回されてきた。ある人にそう愚痴ったら「未熟じゃない親って、いますか」と言われて、そりゃそうだと思いました。みんな未熟なまま親になるわけですから、その未熟さで迷惑をこうむるのが子の運命なんだと。当時の父の年齢をとっくに超えたいまになったら父の未熟さも無理はないと思うようになりました。

自分が70代になって、親子とは迷惑をかけ合う関係だと納得

私にとって、親とは「はた迷惑」な存在。親と子ってそういうものじゃないでしょうか。お互いに相手を選べない関係なのだから迷惑をかけ合って当たり前、それが人生というものではないか──。この歳になって、ようやくそんな境地に達しました。

父が上、母が下という権力関係を間近に見ながら育ったせいで、私は子どものころから父を軽蔑し、ずっと反発心を抱いてきました。オトナになったら母のような立場になる運命が待っていると思ったら、やってられないと思いました。

家には気の強い祖母もいて、お決まりの嫁姑の確執もありました。北陸の3世代同居の家庭に育ったおかげで、私は子どものころから「家父長制とは何か」をしっかり学ぶことができました。フェミニストになるにはもってこいの生育環境でした(笑)。