末期がんになった父に15カ月間毎週、飛行機で会いに行った

そして、父は末期がんになりました。父は医師でしたから、自分に出される処方箋から、自分が治る見込みのない末期状態にあることがわかります。絶望したがん患者でした。地元の病院に入院してから亡くなるまでの15カ月間、私はほぼ毎週末、飛行機に乗って父に会いに行きました。そこで週末を過ごして月曜の朝に帰京し、そのまま大学に出勤する生活。疲れ果てて、ボロボロになりました。

それでも続けられたのは、父の最期はちゃんと看取ろう、しっかり見送るのが自分の役目だと思っていたためです。私の中には、それがペット的な溺愛だとしても、父が愛してくれたという確実な記憶がありましたから。

父のサポートは兄弟3人で非常にうまく役割分担できました。難しい人だったので、兄と弟の妻はできるだけ巻きこまないようにと配慮して、私はメンタル面のサポートを担当しました。いまふり返ってもよいチームワークだったと思いますし、できることはすべてやり切ったので後悔はありません。

上野千鶴子氏
撮影=市来朋久

「愛された」という実感がない子の多くは、老いた親を見捨てる

兄弟って大人になると意外と会わないですし、普段何を考えて何をしているのかよくわからないものです。でも、私たちは父のサポートを機に理解し合える関係を築くことができました。あの15カ月間は、父が私たち兄弟にくれた最後のギフトだったと思います。

私は介護の研究を通してさまざまなケースを見てきましたが、子どもが「愛された」という実感を得られていないと、介護は義務感からだけではできません。

仕方がありません、悪いのはそんな関係しかつくってこなかった親のほうですから。調査によると、親を施設に入れず、在宅で介護する子どもには共通して「愛情」という要因があります。それを培ってこなかったのなら、捨てられて当然でしょう。

愛された実感はないけれど、親が認知症になってから許せるようになったという人もいます。厳しかった親が天真爛漫になったり、それまで口にしたことのない「ありがとう」なんて言ってくれたりしますからね。