そんなこと同世代でもいきなり聞けない
「私はそんなこと言わないわよ!」というマダムと同世代の女性がいらっしゃったら申し訳ない。一緒くたにしてごめんなさい。
でも、似たような言葉を年長者から投げかけられたことがある人は少なくないだろうし、私がこういうことを言われたのは何もあのマダムからだけではない。
同世代と話している分には、こういった発言に面食らうことはほとんどない。気心の知れた仲なら、「産むか・産まないか」について率直な気持ちをああだこうだ言い合うことができるし、大して相手を知らない場合は「お子さんは?」なんてそもそも聞かない。「聞けない」のほうが正しい。
持ちたいと思っているか、望んでいるがなかなか授かれないか、人に言っていないだけで流産や死産や中絶の経験があるか、配偶者と性交渉がなく悩んでいるのか、相手や自分に連れ子がいるのか、などなど。
未婚率も離婚率も増え、出産年齢も上がって、不妊治療をする人も増えている私たちの世代は、「相手にあるかもしれないさまざまな事情」を踏まえると、子供を持つこと・持たないことについて、おいそれと聞くことができないのである。
「子育て人生」に矜持を持っている世代
それに対して、結婚して子を産み育てることが最重要課題であり、当たり前であり、その人生を歩んできたことに少なからぬ矜持を持っていて、若い世代もそうするべきだと考える世代もいる。たとえば私の母とか。そういえば、あのマダムはちょうど私の母と同じくらいの歳だ。
今の60代半ばから上、母やマダムの世代は「結婚したら子供を持つことが当たり前」という意識がいまだ根強い気がする。その少し下、いわゆる「均等法世代」以降になると少し雰囲気が変わってくるだろうか。女の人生すごろくに「仕事」というコマが用意されはじめた世代だと、また見える景色も苦しみも違ったのだろう。
そもそも、女は家で家事と子育てを担うもの、という「良妻賢母」教育がはじまったのは明治30年代からで、全然歴史でも伝統でもなんでもないのだけれど。