そもそも生物には“生きる”という目的はない

言うまでもなく、生きとし生けるものは、やがて死を迎えます。ヒトも例外ではなく、何人も死から逃れることはできません。すべての生物は、死という宿命を背負って生まれてくると、言い換えてもいいでしょう。多くの人は、若いときにはそれほど死を意識しません。けれど、私のように50年以上生きていると、体が思うように動かなくなったり、疲れを感じやすくなったり、白髪やシワが増えてきたりして、「老い」を実感するようになります。周りの親しい人も、だんだんとこの世から去っていき、私の世代になると、同世代の友人が、先に亡くなるケースも増えていきます。そうしたとき、悲しさや寂しさを感じるだけでなく、「もうすぐ自分の番がやって来るな」と、底知れぬ恐怖を覚えた経験が、中高年の人にはあるかもしれません。

DNAと進化のイメージ
写真=iStock.com/metamorworks
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私たちが死を恐れるのは、実は、至極当然のこと。ヒトを含めた生物のすべては、基本として死に抗って、可能な限り生きながらえるように、生存本能をプログラミングされているからです。言い換えれば、自然界の中では、「死を恐れて、懸命に力強く生きよう」とする生物だけが、選択的に生き残ってきたというわけです。

生物学の観点からは、すべての生物にとって、死とは、あらかじめ決められたプログラムとも言えるでしょう。そもそも生物には、“生きる”という「目的」はありません。そして、生物が生きた「結果」としての“死”があるだけです。宇宙がすでにあるのと同じように、アプリオリに生と死がワンセットとなった、生物の進化の法則が存在しているというわけです。

【図表】RNAから進化したDNA

生物が誕生する前、地球上では、「RNA」(リボ核酸)という物質が生まれ、進化の歴史がスタートしました。RNAは、4種類の塩基とリン酸、糖がつながった長い紐状の分子。自らの姿を変える自己編集能力、自らのコピーをつくる能力を備えた画期的な物質だったので、RNAはさまざまに変化し、増えていきました。その中から増殖能力に長けたRNAが残り、さらに、「DNA」(デオキシリボ核酸)に“進化”したのです。DNAは、アミノ酸をつなげてタンパク質をつくるようになり、単細胞生物、やがては多細胞生物を生み出していったのです。

「死を最も恐れる生物」だからヒトは繁栄した

現在の地球に暮らしている、ヒトをはじめとしたさまざまな生物は、元をたどれば、“物質”にすぎません。偶然の化学反応の積み重ねによって、物質が“生物”という形態になっただけなのです。ヒトは生物と無生物を認識できますが、実は、生物にとって、そうした認識は意味がありません。例えば、ヒト以外の動物からすると、「石は食えないけど、ウサギは食えるぞ」といった認識のほうが、はるかに重要です。つまり、生物にとっては本来、「生きること」も「死ぬこと」も、大した意味がないのです。

生物の死が避けられない以上、ヒトも、死を恐れてばかりいても仕方がありません。とはいえ、地球上で最も知能が発達した人類は、ほかの生物と違って、生死を認識できるがゆえに、「死を最も恐れる生物」であるとも言えるでしょう。そのため、死の恐怖から何とか解放されたいと、宗教に救いを求めたりする人も多いわけですが、生物学者である私が提案したいのは、誰もが納得できる「ヒトが死ぬべき理由」を知ることで、死を前向きにとらえ、受け入れることなのです。

動物はそれぞれ、個体として生きています。私たち人類も一人一人、自我を持っています。だからこそ、ヒトや動物は、個体としての「生と死」のライフサイクルを繰り返すことになったのです。しかし、「遺伝子」という切り口から生物を見ると、全く違った世界が見えてきます。

例えば、単細胞生物であるバクテリアは、ヒトや動物と違って、何回も細胞分裂することができます。つまり、「再生」して生き延び、自己の遺伝子を保つことができるのです。遺伝子は、生物の生殖行為によって親から子へと継承される中で、さまざまに変異し、無数の生物種を生み出しつつ、約38億年前の太古から半永久的に「生き続けてきた」とも言えるわけです。言い換えれば、私たちも人類の長い歴史の中で、駅伝ランナーの一人として、遺伝子という「生命のバトン」を先祖から受け取り、次世代に受け継ぐ役割を担っていると考えられるでしょう。

個体としては死んでしまっても、遺伝子が残っている限り、現世のどこかで、私たちの一部が「生き続ける」ということは断言できるでしょう。

生命バトンタッチは自身の子供である必要はありません。死んで土に返れば、体が分解されてほかの生物に取り込まれ、その生物の一部として生き続けることになるわけですから。