ウォレスが気付いた「目に見えない分かれ目」

科学者たちはすでに、種が地理的に変化することには気づいていたが、東南アジアで特にウォレスの関心を引いたのは、ロンボク海峡のように短い距離でも、反対側では種が急激に変化している点だった。

ボルネオ熱帯雨林
写真=iStock.com/yusnizam
※写真はイメージです

通常、植物や動物の群集に著しい変化があるのは、山脈や砂漠といった際立った境界があるためだと考えられていたが、ボルネオ島とスラウェシ島のあいだには短い距離の海がはさまっているだけである。

この思いがけない出来事に気づいたウォレスは、マレー諸島の南北に見えない線が走っていて、ほとんどがアジア系のものである西側と、オーストラリアと近縁性の高いものが多い東側とを分けていると結論した。

現在では、地質学や氷河学の分野で当時とは比べものにならないほど多くのことが知られるようになったし、その後100年ほどでプレートテクトニクス理論が科学的に広く受け入れられた。それでもウォレスはその時代に、自分の引いた線の両側の島々を隔てる海は同地域のほかの場所よりもはるかに深いことを正しく言い当てている。

“アジア”と“オーストラリア”の分かれ目と言える

何度かあった氷期に多くの海が凍結し、そのために海面がいまより100メートル以上低くなったこともたびたびだった。その間、この地域には海がほとんど存在しなくなり、陸生生物の移動が可能だった。

だが、ウォレスが引いた線上にある海域はその時期でもまだ深く、長距離を泳いだり飛んだりできない動物種の移動を妨げた。その結果、線の両側の種は別々に進化することになった。

この“アジア”と“オーストラリア”の目に見えない分かれ目は、1868年にもうひとりの有力な科学者トマス・ヘンリー・ハクスリーによっていくらか修正された。さらに北に広がって、パラワン諸島をフィリピンのほかの部分と分けるために使われるようになり、そのおかげで異なるタイプのキジ科の鳥の分布をより正確に説明できるようになった。