5000万年以上、深海溝に隔てられていた
引いた線が現実のものになったいまではウォレスの引いた線に沿って複雑な構造プレートの境界が走っていることがわかっており、ウォレスの観察した種の驚くべき変異を説明できるようになった(それはまた、北米と南米の動物がなぜあれほど違っているのかを説明するのにも役立つ。2つの大陸はほんの数百万年前までつながっていなかったのだ)。
地質学的に見ると、ウォレス線の西側は東南アジア大陸棚のスンダ拡張部であるのに対して、東側はオーストラリアのサフール大陸棚の一部であり、2つはまったく別々の進化が行われるのに十分な5000万年以上という期間、深海溝に隔てられていた。
その結果、大型の陸生哺乳類や、飛べないか、飛ぶ力の弱い鳥は片方だけに存在することになった。世界の有袋類の約3分の2(カンガルー、ワラビー、コアラ、ウォンバット、タスマニアデビル、バンディクートなど)や、すべての単孔類(カモノハシ、ハリモグラなど)は東側特有の種である。
一方、東側には有胎盤類(ネコ、ルトン、リスなど)の在来種がほとんど見当たらない。植物ははっきり区分ができないし、現地を調査中のウォレスはあまり興味を持たなかったが、ユーカリのほとんどの種が東側だけに存在する点は特記すべきだろう。
もう少し見方を広げれば、ウォレスはこの現地調査によってダーウィンときわめて近い推論を行い、自然選択を通じた進化の理論を生み出したと言える。
相手を尊重する関係を続けたウォレスとダーウィン
ウォレスは論文を査読してもらうためにダーウィンに送った。ダーウィンは感銘を受けたものの、どう扱えばいいかわからず、友人であり科学者仲間でもあるチャールズ・ライエルとジョセフ・フッカーに助言を求めた。
そうして、影響力のあるロンドンのリンネ協会で両者の小論を同時に発表し、どちらが先かの紛争を避けることが決まった。
翌年、ウォレスがまだ東南アジアにいるあいだに、ダーウィンは『種の起源』を出版し、学界のみならず一般社会の賞賛を浴びた。ダーウィンはこの原稿に20年以上も取り組んでいたが、最終的には、ウォレスの著作より先に読まれるように短縮された。