ケガで投げられない時期に打者としての技術が伸びる

今の僕は打者として成長していると感じていて、試合がある限りは出続けて、少しでも多くの経験を重ねていきたいと思っています。(『SHO-TIME 大谷翔平 メジャー120年の歴史を変えた男』徳間書店)

大谷翔平は高校時代から今日まで、幾度もケガや手術を経験しています。そのため投手として投げられない時期も多かったのですが、その間に打者としての技術は格段に伸びました。

その成長が今日の驚異的な成績につながっているのですから、人間は何が幸いするかわかりません。

大谷が花巻東高校に入学したとき、佐々木監督の頭にあったのは「ピッチャー・大谷」でした。

ところが、高校2年生の夏に骨端線こったんせん損傷という大きなケガをして、ピッチャーとして投げることができなくなります。

ケガへの取り組みが野球人生を変えた

代わりにバッティングの練習に力を入れたところ、その才能が大きく開花したのです。

ボールを打つ瞬間の野球選手
写真=iStock.com/Dmytro Aksonov
バッティングのの才能が大きく開花(※写真はイメージです)

当時のことを大谷は「思っていたよりも、もっと上の自分がいたので、バッティングが楽しくなってきたんです」と振り返っています。

メジャーリーグに移籍した1年目と2年目も大谷は手術などにより、ピッチングのできない時期を過ごしていますが、ここでも大谷はバッティングに専念することで「打者として成長している」ことを実感しています。

ケガは歓迎すべきものではありませんが、ケガとそれに対する取り組みが大谷の野球人生を大きく変えたのです。