大谷翔平選手は日本ハム時代の2016年、日本プロ野球史上初となる「10勝100安打20本塁打」を達成した。10年にわたり大谷選手を取材しているスポーツニッポン新聞社MLB担当記者、柳原直之さんの著書『大谷翔平を追いかけて 番記者10年魂のノート』(ワニブックス)より、プロ4年目のエピソードを紹介する――。

日ハム逆転優勝には「投手・大谷」が不可欠

2016年後半戦は首位・ソフトバンクと追う2位・日本ハムの優勝争いが白熱。日本ハムは8月25日のロッテ戦(当時QVCマリン、現ZOZOマリン)で4連勝を飾り、115試合目で初の首位に立った。その後、「首位陥落」「再奪首」を繰り返すが、その話題の中心にはいつも大谷がいた。

柳原直之『大谷翔平を追いかけて 番記者10年魂のノート』(ワニブックス)
柳原直之『大谷翔平を追いかけて 番記者10年魂のノート』(ワニブックス)

9月13日のオリックス戦(札幌ドーム)。自身が持つプロ野球最速を更新する164キロを出した。3回1死二、三塁で糸井嘉男への初球にマーク。適時打を浴びる反省の1球となったが、5回4安打2失点9奪三振。優勝を争う2位・ソフトバンクと1ゲーム差に迫った。

人知れず「故障」を乗り越えていた。前半戦最後の登板で右手中指のマメをつぶし降板した際に実は大谷は右肘に痛みも感じていたという。開幕直後の4月にも同じ右手中指のマメを悪化させて降板したことがあった。5月以降は投げるたびに変形するマメを爪ヤスリで削るなどケアを怠らなかったが、そのマメを気にしながら投げ続けたため、肘に負担がかかってしまった。

札幌市内の病院で検査も受け、診断は幸い軽度なものだったが、投手としての復帰は遅れた。8月半ばから本格的にブルペン投球を再開し、2、3日に一度のハイペースでブルペン入り。調整は慎重に慎重を重ねた。復帰が遅れた要因は打線の核としてスタメンから外せなかったということもある。だが、全ては逆転優勝へ向けて「投手・大谷」を100%の状態でマウンドへ送り込むため。その期待にフルスロットルの投球で応え、逆転勝ちの一翼を担った。