「野球で本当に大切な3つのポイント」

この「野球ノート」は小学3年になる直前から、大谷が所属する少年野球チームの監督を務めていた父・徹さんが始めさせた。毎日ではなく、大会や合宿などの節目で大谷が「良かったこと」、「悪かったこと」、「目標(これから練習すること)」を記し、父がそこにアドバイスを書き添えていく。徹さんは恥ずかしそうに当時を振り返る。

「書くことによって頭に入る。褒めるのも、本人を目の前にして褒めたくない。文章的に褒めるのが、良いんじゃないかと思った」

ノートに何度も出てくる徹さんの言葉がある。徹さんはこれらを「野球で本当に大切な3つのポイント」と言う。それは、「声を出して仲間と連係を高め」、「全力疾走」で「楽しく野球をやる」だ。さらには、キャッチボールは肩を温めるためだけではなく、狙ったところに回転のいいスピンのかかったボールを投げる。それが、肩の強さにつながるという。

大谷自身もノートに「声がいつもよりだせていたと思った」、「全力で走れていなかった」と書き込むなど、父から学んだ「野球観」がここにあった。

「逆方向にも打てる」長所を養った練習

少年時代に高い次元でプレーしていた様子も感じ取れた。徹さんが「10打数10安打10割バッターを目指せ」、「東北の投手で翔(平)の打てないピッチャーはいない」とハッパを掛ければ、息子は「コースによって打ち分けられなくて」と反省点を記す。少年野球チーム時代、2人は全体練習1時間前にはグラウンドに出向き、ティー打撃を行った。徹さんが重点的に指導したのは、広角に打ち分けることだった。

「直球のタイミングで打ちにいって、ピタッと止まって変化球に合わせてミートするという打ち方。“左中間に飛ばして、二塁打をとにかくたくさん打ちなさい”と言ってきた」。大谷の長所は逆方向にも強い打球を打てること。このティー打撃で養われたのだ。

バッティングティーの上にボールを置く選手のクロップドショット
写真=iStock.com/PeopleImages
※写真はイメージです

「この時にはプロなんて考えていない。社会人までできればいいかなくらいしか考えていなかった」。徹さんはそう言って笑った。しかし、投げては当時日本最速の164キロを誇り、打っては22本塁打。走っても、常に先の塁を狙う好走塁が光る――そんな二刀流誕生は、偶然の産物ではない。親子二人三脚で培ったものだ。その原点に2人の「野球ノート」があった。