体調を気にし続ける母・佳代子さん

実家のある奥州市は大谷の応援一色。母・加代子さんは「町の人、みんなが応援してくれてすごくうれしい。ありがたい」と感謝の言葉を口にしていた。早朝のラジオ体操では前日の打撃成績や投球成績が発表される。

大谷の通った「常盤幼稚園」の園児たちがプロ野球のスーパースターとなった大先輩の「貼り絵」を制作し、贈呈されたこともあった。大谷の活躍は言わずもがな、郷土の誇りだ。

大谷は花巻東時代から体は決して強くなかったという。加代子さんが同校に練習試合を見に行くと「“翔平、今日熱を出して、医者に行きました”とかしょっちゅうですよ」と振り返る。

毎月のように熱を出していたという。この年はマメで緊急降板する時もあれば、風邪による体調不良で試合直前に欠場することもあり「電話は嫌いみたいだから、私はどんなに長くなっても手紙のようなLINEを送る」と語っていた。

父と母の愛情も強く感じた。息子がよく風邪をひいた話題になった時。徹さんが「俺も子供の頃からへんとうがすごかった」と振り返ると、加代子さんは「お父さんの話はいいの。翔平はへんとうが大きいとかはなかったよ」と突っ込みを入れる。昔を懐かしみ、笑いが絶えない両親。大谷が育った岩手には、温かい空気が流れていた。

先発前日の「異例の打席」で二塁打を放つ

優勝へのマジックナンバーを1とした日本ハムは9月27日の西武戦(当時西武プリンスドーム、現ベルーナドーム)に臨む。翌28日の予告先発として発表された大谷は、登板前日のためスタメンこそ外れたが、ベンチ入りした。

栗山監督は試合直前「一応、準備させる」と言った。この日は勝てば優勝が決まる試合。栗山監督は「どっちにしても(球場に)残らないといけない日だった」と起用法を思案し、決断した。投手としてブルペン待機し、9回のマウンドに「胴上げ投手」として立つプラン――。ただ、初回2失点で追う展開となり、代打待機に専念した。

大谷は7回に代打出場。プロで初めて登板前日に打席に立ち、二塁打を放った。新人だった2013年、代走出場の翌日に救援登板したケースがあったが、登板前日の打席は初体験。大谷自身は「特に変わりはなかった」とサラリと振り返るが、異例のことだった。先発前日の投手は、試合前や試合中に球場を離れるのが通常だ。