「三方よし」の仏教哲学的ロジック

次に、矛盾が目立つようになってきている資本主義そのものについて考えてみます。資本主義の性質上、短期的・個別的な利益の追求が最適解となりがちです。

従業員のプライベートを犠牲にしてでも会社の売り上げを伸ばそうとする経営者や、相手を陥れてでも自分の利益を確保しようとする人もいます。

しかし、それで世の中が回らなくなってきているのは冒頭で述べた通りです。短期的・個別的な利益の追求が一概に悪いわけではありませんが、長期的・全体的な利益を重視することが、ポスト資本主義的な社会といえるのではないでしょうか。

長期的・全体的な利益の重要性は、仏教の「中観ちゅうがん」「唯識ゆいしき」で説明することができます。

本書で詳しくご説明していますが、中観とは「あらゆるものごとは因果関係と相対性を持つ。ゆえに万物に絶対的、独立的な実存性はない」という考え方。

唯識とは「ただ認識がある」との文字通り、「あらゆるものは何かに認識されることによってのみ存在する」という考え方です。

この考えを前提にすると、「私」という概念は「他者」があってこそ成り立ちます。なぜなら、広い宇宙に自分一人しかいなければ、「私」という概念は必要ないからです。

だとすれば、他者が存在することで「他者ではないものとしての私」が確定し、逆に「私」がいるからこそ他者の存在も確定するという相互関係も見えてきます。すると、「私」は、他者と関わらずに自分だけで存在することはできないとわかるでしょう。

たとえば製造販売の会社なら、買ってくれる顧客はもちろん、部品を提供してくれる取引先がいなければ成り立ちません。

松波龍源『ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考』(イースト・プレス)
松波龍源『ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考』(イースト・プレス)

だから、自社だけ儲けようとして下請けを締めつけたりすると、必ずどこかでひずみが生じる。局所最適を目指すあまり、全体が崩壊してしまうのです。

すべてのものは周囲とのバランスで成り立っているので、自分だけ利益を得ればいいという態度は結果的に崩壊を招き、自らを苦しみに陥れることになる。反対に、他者の利益を考えることは、他者と切り離せない「私」の利益を考えることにもなります。

これが、仏教の基本的なスタンスです。

※物質のみを真の存在として、最重要視する考え方。そのため精神は派生的なものであるとされる。

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