人を幸せにするのは、社会制度よりも心のあり方
現代社会を考えるうえで大切なのは、一人一人の「心のあり方」です。
現代社会を“現代的”たらしめているものの一つに、社会制度があります。民主主義などの統治システムに始まり、法律や年金、保険など、さまざまな社会制度に準じ、守られることで私たちは生きています。
それはとても素晴らしいことですが、社会制度に目を向けすぎて、それを使って生きている一人一人の心のあり方を軽視しているのではないでしょうか。先ほど述べた唯物論で考えると、心の問題が「ない」ことになる、という話にもつながります。
たしかに社会制度が悪ければ、そこに生きる人が不幸になる可能性は高いでしょう。反対に良い制度下であれば幸せに生きられる可能性は高まりますが、制度さえあれば100パーセント全員が幸せになれるわけではありません。
制度には、それを運用する人間の心のあり方が表れます。どんなに素晴らしい制度を作っても、それをハックして一人勝ちを狙う人がいれば、社会はまともに機能しなくなってしまう。
逆にいえば、心のあり方を重視することが、現代社会のしんどさを脱却する鍵になるのではないでしょうか。
真の叡智があれば、そこは理想郷になり得る
それをよく表しているのが、20世紀半ばにスリランカのA・T・アリヤラトネという社会活動家が提唱した「サルボダヤ運動」です。
サルボダヤとは「すべての目覚め」という意味で、仏教的な精神に基づき、一人一人の個人が目覚め、賢くなって自立し、非暴力的に社会変革をめざす運動です。
ここでいう賢さとは、小賢かしさではなく真の叡智です。たとえ政治が腐敗していても、道路が舗装されていない地方の村でも、そこにいる人々がじゅうぶんに叡智を磨いたならば、自分たちの力で豊かに生きていくことは可能であり、そこは理想郷になり得ると考えます。
この考え方は、われわれが生きる現代社会でも有効ではないでしょうか。政治や社会保障制度はもちろん大切ですが、同時に自分自身はどうなのか。それを省みることなくすべて政治や制度の問題だと考えるのは、誠実な態度ではありません。
①社会全体が無自覚に前提視してしまっている世界観と、②そこに生きる一人一人の心の問題。われわれが直面する社会課題を解消するには、この二つを合わせて考えることが必要なのです。