俯瞰で世界を見るにはどうすればいいか。僧侶の松波龍源さんは「私たちはいま生きている世界を、唯一無二で絶対性のある現実だと思い、その中で快楽を得たり苦しみを得たりして右往左往している。しかし実はそうではなく、そこからログアウトする感覚でメタな視点を持てば、新しい次元が見えてもっと自由になれる」という――。
※本稿は、松波龍源『ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考』(イースト・プレス)の一部を再編集したものです。
メタバースと仏教の相性がよい理由
「メタバース」は、実は仏教と非常に親和性のある話題です。意外に思われるかもしれませんが、私はふだん仏教について考える際、コンピューターテクノロジーの概念を参考にすることが多いんです。
どういうことか、順を追って説明していきましょう。
メタバースという言葉には「メタ」という単語が入っています。「メタ」は「超える」という意味です。最近では、ものごとを一歩引いた視点から見ること、俯瞰することを「メタ認知」と表現することが多くなりました。
そしてみなさんもご存じのように、仏教のゴールは「さとり」の境地に達することです。「さとり」が何なのかはさまざまな解釈がありますが、私自身は、完全なるメタ認知を獲得し、時間や空間の認知スケールを自由自在にコントロールできるようになることが、「さとり」ではないかと考えています。
今は「メタ認知を獲得すること=さとり」ということがピンとこないかもしれませんが、もう少し読み進めてください。
メタバースといえば、大きなゴーグルをかぶって仮想空間に入り、自分の分身であるアバターを操るイメージがあるでしょう。
実は仏教では、われわれが生きる現実世界を今より一段階メタな世界から見ると、この世界で物理的な身体(ボディ)を持って存在すること自体が、アバターのようなものではないかと考えます。
そもそもアバターという単語は、仏教用語にも多く用いられる古代インドのサンスクリット語で、「化身」を意味する「アバターラ」に由来しているのです。