現代人は常に時間に追われている。一生懸命やってもトラブルばかり。自分の何が悪いのか。セブン‐イレブン限定書籍『悩まない練習』を上梓した禅僧の枡野俊明さんは「ものごとに接するとき、二元論にとらわれすぎてはいないか。禅は、よいも悪いも一切忘れることの大切さを教えてくれる」という──。(第2回/全2回)

※本稿は、枡野俊明『悩まない練習』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

現代人は「余白」がない

現代人の時間の使い方は、忙しいがゆえにとても慌ただしいものになっています。

仕事であちこち飛び回っている人のスケジュール表を見ると、向こう数カ月は予定でびっしり埋め尽くされていたりします。朝から晩まで余白がどこにもないのです。

こんなに忙しいとたいへんだろうなあ、と思いますが、スケジュール表に何も書かれていない空白があると、むしろ不安になる人も少なからずいるそうです。

予定がないと不安になるのは、忙しいことが自分の価値を担保すると思い込んでいるからだと思います。また、忙しいことそれ自体に、ある種、中毒性のようなものがあるのかもしれません。

日本庭園
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「7回走ったら、一度は休みなさい」

けれども、日々時間に追われてばかりいては、自分という存在が何なのかがわからなくなってきます。時に立ち止まり、自分を見つめる時間が必要です。

禅語に「七走一坐しちそういちざ」という言葉があります。「7回走ったら、一度は休みなさい」という意味です。際限なく走り続けることはできません。全力で走ったら、一度休息をとり、自分の走りを見直すことが大切なのです。

一日一止いちにちいっし」という中国の言葉もあります。「一日に一度止まれば、正しい生き方ができる」という意味です。

走っている状態をやめ、休息をとるには、意識的に心がける必要があります。