車も人生も「遊び」が重要

たとえば、1カ月のうち丸一日は何もしない日をつくってみてはどうでしょうか。その日はいっさい何の予定も入れないのです。ちょっとした用事を入れたくなっても、あえて入れないようにします。

ただ、ぼーっと部屋の中で過ごしたり、街をぶらぶら散歩したりして、空白の時間に浸ってみてください。そうすることで、心地よい時間の流れがあることに気づいたり、忘れていた自分を取り戻したりすることができるかもしれません。

何の予定も入れない日をつくるのがむずかしい人は、毎日の中で余白の時間をつくってもいいと思います。朝から晩まで忙しくしている人でも、工夫すれば毎日、30分くらいは自分の自由にできる時間をつくれるはずです。

忙しいさなかに時間の余白を少しでもつくることは、生活にいいリズムをつくり、心に余裕をもたらしてくれます。

車のハンドルは、“遊び”がなければコーナーをまわったり、方向を変えたりする際、かくんとなって滑らかな運転ができません。生活における時間の余白は、いってみれば、このハンドルの遊びのようなものです。

僧侶が一日のやるべきことほとんどを午前中にすませる理由

修行中の僧侶は、一日のうちのやるべきことをほとんど午前中にすませるようにします。また、晩課ばんかという夕方のお勤めからの時間は、基本的に何をしてもよい自由な時間になります。

僧侶の生活は、こうして必ず余白の時間を設けます。その時間に何をするか、どのように自己と向き合い、何を感じ取るか。これもまた修行の一環でもあるのです。

忙しくても、生活の中に余白をつくる。それこそが豊かなものを生み出す、宝のような時間になることを覚えていてください。