軽やかに生きている人は何をしているのか。元結不動密蔵院の名取芳彦住職は「人は生まれてから自分にとって未知のことに次々に出合い、その対処法を少しずつ身につけ、既知の出来事が増えていくにしたがって『ま、世の中はそんなものだ』と考えられるようになる。コロナのように前代未聞の事態に直面したとき、正しい対処法など誰もわからない。多くの経験から『ま、そんなもんだ』とスルーする極意を学び、心の風通しを良くしていくといい」という――。
※本稿は、名取芳彦『達観するヒント もっと「気楽にかまえる」92のコツ』(三笠書房)の一部を再編集したものです。
「無常」を忘れたとき、心が乱れる
『平家物語』の冒頭のフレーズとして有名な「諸行無常」。これは、仏教が説く「もろもろの作られたものは同じ状態を保たない」という事実を表わす言葉です。
すべての物事は、さまざまな縁(条件)が寄り集まった結果として生じます。集まってくる縁は、加わったりなくなったりして次々に変化するので、その影響を受けて結果も次々に変わります。
体を動かすのが縁になって空腹になり、空腹を縁にして食欲が生まれます。そこに過労や心労による消化器系不調の縁が加わると、食欲不振という結果になります。さらに、親のやさしさという縁が加わると、実家からレトルトのお粥が届いたりします。
このように、縁の変化にともなって結果が変わるのは至極当然のこと。にもかかわらず仏教が「諸行無常」を説きつづけるのは、こうした「変わらないものは何一つない」という事実を私たちが忘れ、変化に対して心が乱れることが多いからでしょう。
もし同じ状態がつづくのを望むなら、集まってくる縁に対して次々に手を打たなければなりません。それができないなら、変化を楽しむ心を持っていましょう。