人間関係で悩まない方法は何か。元結不動密蔵院の名取芳彦住職は「友人の尼僧がオリジナルの仏教音楽CDを作って、お世話になった方々に贈呈し、何の反応も示さない人の不義理を嘆いたことがあった。しかし、一般社会ではお世話になった方との間で、さまざまな義理人情の慣例がある。お礼の品をあげたから、もらったからと見え隠れする人の心に、あるときは厳しく、あるときはやさしく寄り添っていたいものだ」という――。

※本稿は、名取芳彦『達観するヒント もっと「気楽にかまえる」92のコツ』(三笠書房)の一部を再編集したものです。

プレゼント
写真=iStock.com/paulaphoto
※写真はイメージです

「去る者追わず、来る者拒まず」がいい

私たちは一生の間に何人の人と出会い、そのうちの何人と、長短の差はあれ付き合うことになるのでしょう。

私が直接会って「お久しぶりです」と挨拶する人は、かつて同じ時間と空間を共有した500人ほどでしょうか。互いの近況が気になる間柄と言っていいでしょう。

そこまでの付き合いでない人の数は、その数十、数百倍にのぼるでしょう。それらの人と濃厚な関係を保ちつづけるのは、物理的に不可能です。ほとんどの関係は自然消滅していきます。

僧侶として「去る者追わず、来る者拒まず」というスタンスで暮らしていますが、SNSの登場でこのやり方が揺らいできました。トモダチ申請が来ても、相手に500人以上トモダチがいる場合は「私は義理堅いので、これ以上トモダチを増やしても、その人たちの記事を読めないのでお断りします」と来る者を拒むようになったのです。

情の厚い「いい人」になろうなんて、思わなくてもいいのです。どんな人間関係でも無常(変化)を少し意識して、柔軟に対応したいものです。