※本稿は、小澤竹俊『自分を否定しない習慣』(アスコム)の一部を再編集したものです。
人生に本当に必要な「大切な人」
私は以前、70歳をすぎてから末期がんと診断された、ある患者さんと関わったことがあります。その患者さんは、実家の家族とも、妻や子どもともうまくいかず、仕事もなかなか長続きせず、古いアパートで一人で年金を頼りに暮らしていました。
最初に訪問に伺ったとき、その患者さんは「自分の人生を早く終わらせたい」「早く楽になれる薬はないのか」など、一方的にご自分の苦しみを訴え、自分自身や自分の人生を否定するばかりでした。
そのような人に、「そんなことを言わないでください」「あなたの気持ちはとてもよくわかります」「生きていればいいことがあります」といった言葉はまったく響きません。
それどころか「健康なお前に、俺の気持ちがわかるか」「他人事だと思って、適当なことを言うな」と、心を閉ざされてしまうでしょう。
その患者さんに対して私たちがしたことは、やはり丁寧に話を聴くことでした。故郷のこと、曲がったことや人から指図されることが嫌いなご自身の性格のこと、病気の苦しみ……。
話をしているうちに、おそらく患者さんは、私たちのことを「自分の気持ちをわかってくれている」と感じてくださったのでしょう。表情が徐々に穏やかになり、「苦労の多い人生ではあったけれど、自分を曲げてまで生きるよりは良かった」と、自分の人生を肯定する言葉を口にされるようになりました。
「それで良い」と言ってくれる存在の重要性
誰か一人でも、自分の苦しみを聴き、わかってくれる存在がいる。
自分では「何も成し遂げられなかった」と思っていても、どんな自分、どんな人生であっても、これまで生きてきたこと、頑張ってきたことに対し、「Good Enough」(それで良い)と言ってくれる存在がいる。
そう思えたとき、世の中がそれまでとは違って見え、人の心の中に、言葉では言い表せない前向きな感情が生まれるのだと、私は感じています。