わかってくれていると思える誰かの存在は、苦しみの中の一筋の光
みなさんもおそらく、今までの人生で苦しい思いをするたびに、何度となく「誰かに自分の気持ちをわかってほしい」と望んできたのではないでしょうか。
たとえば、病気やけがで痛みを抱えたり、思うように体を動かすことができず、つらく情けない思いをしたりしたとき。
痛みや不自由さは変わらなくても、家族でも友だちでも医師でも看護師でも、その気持ちをわかってくれていると思える誰かがいるだけで、つらさが和らぐのを感じませんでしたか?
自分を肯定できない人の大きな支えになる
あるいは、失恋したとき、痛手はすぐにおさまらなくても、その悲しみをわかってくれていると思える誰かがいるだけで、気持ちが楽になりませんでしたか?
本当は子どもに優しくしたいのに、いつもイライラしていて、あるいは子どもが言うことを聞かなくて、つい怒鳴りつけてしまう。そんなとき、わかってくれていると思える誰かがいるだけで、イライラがおさまり、笑顔を取り戻すことができませんでしたか?
社会人になってからも、なかなか成果があがらないときやトラブルに見舞われたとき、上司が「自分の気持ちや努力をわかってくれている」と感じると、気持ちが落ち着き、仕事へのモチベーションが上がったことはないでしょうか?
このように、「自分の気持ちをわかってくれている」と思える誰かの存在は、特に苦しみの中にいる人、自分を肯定できない人にとって大きな支えやエネルギーとなり、ときにはその人の人生を導いていきます。
苦しみという暗闇の中で、わかってくれていると思える誰かの存在が、前を向いて生きていくための、一筋の光となるのです。
後悔のない人生には「ありのままの自分でいられる」ことが不可欠
また、自分の気持ちをわかってくれていると思える誰かの存在は、ありのままの自分でいられる強さを与えてくれます。
たとえば、これまでに私たちが関わった患者さんの中には、体にたくさんの管をつけながら、本当に動けなくなるギリギリの瞬間まで仕事をしていた方もいらっしゃいました。
末期のがんになり、ご自身も大変な中で老々介護をし、夫を見送った後で亡くなられた方もいらっしゃいました。
「そんな体で仕事をするのはやめなさい」「夫の介護は施設に任せなさい」という人もいるかもしれませんが、私たちには、その患者さんたちにとって、仕事をすること、夫の介護をすることこそが、ありのままの自分でいられることであり、病気の苦しみの中で生きる支えになっていると感じられました。