「東電のせいで壊滅した」なんて言えるはずがない
――政府が民間企業である東電との「統合本部」を設置したことについても、当時は「政府が民間企業に介入するのか」といった批判がありました。事故対応で命をかけなければならない場面もあることを考えると、原発を抱える電力会社が民間企業であるという組織形態は正しいのでしょうか。
原発を100%公的に管理すべきだ、という発想はありません。でも、もし原発で事故が起きた時、第一義的に対応すべき電力会社に対応する能力がなければ、政府がやるしかありません。
福島原発事故では、東電本店は何も機能しませんでした。しかし、その結果被害を受けるのは国民です。原発が制御不能になり、放射性物質をどんどんまき散らしたら、東京から、関東から逃げ出さなければならなくなる。その時に政府が「東電のせいで(東日本が)壊滅しました」なんて、絶対言えませんよ。
――能登半島も原発立地地域です。幸い福島原発事故のような事態にはならなかったようですが、半島という立地もあり、事故があれば住民が逃げ切れなかった可能性もあります。改めて日本の原発のありようについてどう思いますか。
私の結論は非常にはっきりしています。原発に依存するのは諦めるべきです。
今は「原発がなければ日本中で停電が起きる」といったことはありません。再生可能エネルギーで日本の電力のすべてを賄うことは、技術的にも問題なくなっています。一方で、事故が起きた時のリスクは高い。原発はもうやめるべきです。
「安全神話」の中では危機管理はできない
――「平時」が「非常時」に切り替わった時、政治のリーダーはどうあるべきでしょうか。
「非常時」がいつ起きるかは、誰も予期できません。だから平時のうちに最低限「最悪の事態」を想定した準備をしておくことが大切です。
福島原発事故の時、経産省の原子力保安・検査院のトップが経済学部出身だったと言いましたが、米国ではこんな人事は考えられません。一定のレベルを超えた専門性を持った人間を担当させます。残念ながら日本では、原発のことを知らない人を(保安院の)トップにするような人事を、平気でやってしまう。これを「平時」の発想というのです。
「安全神話」という言葉で分かるように、日本では「危機は起こらないもの」と考えられています。だから、危機に自分たちで対処する発想がない。個人の問題なのか、自民党という組織全体の問題なのか分かりませんが、少なくとも岸田首相には、そういう意味での危機管理的発想は感じられません。
――その割に自民党は「憲法に緊急事態条項を盛り込め」などと主張しています。
逆なんですよ。危機管理のために必要な準備を整えることと、単に格好をつけることがごっちゃになっている。危機の時に何をやっていいか分からないから、あんなことを言うのではないでしょうか。