あるべき姿と現実のギャップの存在

さて、そもそも「悩む」という現象はどのように発生するのだろうか。

すでに述べたように、「悩む」は「考える」がサクサク流れなくなり、その結果としてストレス(負の感情)が充満している状態である。「考える」とはもともと「物事について、論理的に筋道を追って答えを出そうとする(大辞林)」ことであり、感情とは無縁な営みのはずだが、いつしか負の感情に支配される状況になっている。

「負の感情による支配」はどうやって起こるのか。図が示すとおり、「悩む」は、私たちが現実の中に「問題」を認識したときに始まる。

ここでいう「問題」とは、本来あるべき姿と現実との間にギャップが存在することである。今月の売り上げ予定が1億円で、実際は5000万円の場合、「足りない」というギャップの存在ゆえに、問題として認識されることになる。この時点で「問題」は、あくまでギャップが存在するという状況のことであり、考察対象であるにすぎない。実際、縁もゆかりもない会社の話であれば、何ら感情を抱かずに原因を推測し、対策を考えることもできよう。

しかし、自分の経営する会社の話であれば全く別となる。状況にもよるだろうが、焦り、不安、絶望などの負の感情が高波のように襲いかかる事態となる。この問題が「自分にとって有害(脅威)だ」という認識が生じたためである。これが「悩み」への最初の入り口となる【原因A】。

しかし、有害性の感知による負の感情の発生は、「悩む」が生まれる一要件ではあるが、イコール「悩む」ではない。それが真に「悩む」になっていくのは、問題を解決する手立てが見出せないという状況に至ったときだ。

売り上げ未達の話でいえば、新たな受注で十分にリカバリーが可能だという予測があれば負の感情は収束できるが、解決策が見えてこない場合、負の感情はさらに増幅されることになる。