空白の時間は素敵すぎる

でも、あるとき次のことに気づいたのです。

明日できることはあえて明日に回して、今日のスケジュールに空白を設け、「では、今日はどんなことをやってみようか」と考えられる余裕こそ、心を晴れやかにし、人生を豊かにする方法だと。

「今日、とくにやることがない」というのは、言い方を変えれば、「今日一日、何をやってすごしてもいい!」ということです。

スケジュールの入っていない空白の時間で、「今までできなかったこと」をなんでも実行することができる。

ずっと行ってみたいと思っていた店に行ったっていいし、本屋さんに行って分厚い本を買い、存分に読書をするのもいい。新しい趣味を始めるのも自由なのですから、要するに、時間の空白は、「時間がなくてできなかったこと」を自分に堂々と許可できる、最高の時間であるはずです。

本棚の横で本を抱える年配の女性
写真=iStock.com/itakayuki
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ところが、そんな素敵な空白の時間を怖がるのは、これまでの人生で、「誰かの都合で何かをさせられる時間」ばかりを優先してきたからです。

会社の用事、人間関係の用事、生活する地域の用事、家族の用事……。そうした用事をこなすことで、私たちは役割を果たすという満足感を得てきました。

でも、これからの人生は、自分の満足のために時間をもっと使っていく練習をしましょう。時間についての考え方を変えると、毎日の生活がどんどん幸せなものになっていきます。

「明日のことを考えるのはやめなさい」

仏教には「時節因縁」という言葉があります。意味は、「何事かが生じるには、それぞれ定められた時がある」ということです。

たとえば、花が咲くのは毎年決まった時期です。その時が来れば自ずと花は咲きます。人間関係においても出会いや別れの時機は決まっていて、どんなに足搔いても別れの時はやって来ます。また、どんなに努力をしていても機が熟さないかぎり報われないし、逆にどんな障害があっても、その時がやって来れば願いは叶うのです。

これが「時節因縁」です。この考えを、ものすごく嚙み砕いて簡単に言えば、「明日のことを考えるのはやめなさい」ということにもなるでしょう。

でも、その前に、仏教でいう「因縁」という考えを理解する必要があるでしょう。

仏教の創始者である仏陀ぶっだは、宇宙を貫く法則が3つあるとしています。これを三法印と称し、次の3つです。

1.諸行無常
2.諸法無我
3.一切皆苦

1の「諸行無常」は、『平家物語』の冒頭にも出てくる言葉ですから、ご存じの方も多いでしょう。「この世のすべてのことは常に移り変わっている、一瞬たりとも同じではない」という教えで、今は物理学でも証明されている概念です。

物質の最小単位の素粒子は絶え間なく変化しています。20~21世紀の現代科学がようやく証明したことを、仏教は、紀元前5世紀(諸説あります)の時点ですでに言い当てていたわけです。

3の「一切皆苦」は、「この世のすべては苦しみである」という法則です。

この苦には、「四苦八苦」という、生きること、老いること、病気になること、死ぬことの根本的な四苦に加えて、好きな人と別れなくてはならないこと、嫌いな人と一緒にいなくてはならないこと、努力してもいい結果が得られないこと、

そして、自分の能力が自分の思うようにならないことで苦しむことの四苦が含まれます(以上で「四苦八苦」)。

仏陀は、これが生きるということだ、として「一切皆苦」としました。