人生は、ただのテストに過ぎない

私のお気に入りのポスターにこう書いてある。

「人生はテストだ。ただのテストにすぎない。これが本物の人生だとしたら、どこに行くべきか、なにをすべきか指示してくれてもいいではないか」

このユーモラスな言葉を思い出すたびに、私は自分の人生をきまじめにとらえすぎないようにつとめている。

人生とさまざまな挑戦を、テストまたはテストの連続とみなせば、直面する問題の一つひとつが自分を成長させ、パンチにたいして柔軟に身をかわすコツをつかむチャンスだと思えるようになる。問題や責任や越えられそうもないハードルの山にぶちあたっても、それをテストと思えば乗り越えられるチャンスはつねにある。

逆に、一つひとつの問題を生き残るためには是が非でも勝たねばならぬ戦いだとみなすと、人生の旅はかなり険しいものになるだろう。すべてをきちんとやりとげたときしか幸せを感じないからだ。そうなることはめったにない。

人生はテストだという考え方を目先の問題に応用してみよう。

たとえば、難しい年ごろの子供か要求のきつい上司がいるとする。これを「問題」視するかわりにテストだと考えてみる。やっきになって解決しようとせず、そこからなにか学べるかどうか考えよう。

「忙しくて時間がない」が口癖の人に伝えたい

「なぜこれが私の人生に起きたのだろう? これは私の人生にとってどんな意味があるのか? これを乗り越えるためにはなにをどうすればいい? これをなんらかのテストとみなせないものか?」と自分に問いかけてみる。

この戦略をためしてみれば自分の反応の変化に驚くはずだ。

たとえば、私は忙しくて時間が足りないという問題を解決しようと必死になっていた。なにもかもやり終えようとしてじたばたし、うまくいかないと自分のスケジュールや家族や環境、そのほかすべてのせいにしていた。

やがて私は気づいた。自分が幸せになりたければ、時間をつくり出そうとやきもきするかわりに、なにもかもやり終えなければならないという考え方を見直してもいいんじゃないか、と。言いかえれば、これをテストだとみなすことが自分に課せられた挑戦だった。

これをテストとみなすことで、私は自分の最大の欲求不満をなだめることができるようになった。いまでも時間が足りなくてじたばたすることはあるが、以前にくらべればずっと減った。

あるがままの現実を受け入れるほうが私にとってはるかに簡単だ。

都会の道路を歩く人々
写真=iStock.com/AzmanL
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