※本稿は、福原稔浩『近鉄学――元名物広報マンが解き明かす、日本最大私鉄の強さの秘密――』(ワニブックス【PLUS】新書)の一部を再編集したものです。
阪急、阪神、京阪、南海という好敵手たち
阪急は都市をつくり、阪神は高速輸送とスポーツ文化を育て、京阪は制約の中で技術革新を重ね、南海は信仰と都市間輸送という2つの顔を併せ持ってきました。
それぞれの歩みを追っていくと、関西私鉄は決して単独で存在してきたのではなく、互いを強く意識し、競い合い、ときに影響を与え合いながら成熟してきたことが見えてきます。
関西の鉄道史は、協調よりもまず競争によって磨かれてきた歴史でもありました。とりわけ大きな転換点となったのが、1970年前後です。
高度経済成長のただ中で、日本万国博覧会の開催を契機に、関西は大きく姿を変え始めました。人の流れは爆発的に増え、鉄道各社は「速さ」や「本数」だけでなく、都市と都市をどう結び、沿線をどう育てるかを本気で競い合う時代に入ります。
やがて、関西国際空港や神戸空港の開業、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの誕生、大型水族館の整備、ニュータウンラッシュ、伊勢志摩サミットに象徴される国際イベント。
関西は「住む場所」から「訪れる場所」へ、さらに「世界とつながる場所」へと、次々に役割を変えていきました。
独自の進化で「日本最大の私鉄」に
この変化は、私の鉄道人生と、ほぼ同時進行で進んでいったのですが、こうした時代のうねりの中で、関西私鉄の戦国時代は単なる路線延長や利用者数の競争ではなく、「どんな人を、どんな時間へ運ぶのか」という質の競争へと移っていきました。
その只中で、近鉄は他社と競い合いながら、着実にネットワークを広げていきました。
近鉄は多数の鉄道会社の合併と分離を繰り返しながら、都市・観光・信仰という3つの軸を押さえ、大阪・京都・奈良・伊勢・吉野、さらには名古屋へと路線網を広げていきました。
合併と買収、路線拡張を重ねて形成されたネットワークは、関西私鉄の中でも群を抜く規模となり、近鉄は“覇者”と呼ぶにふさわしい独自の進化を遂げていきます。
「よい競争には、よいサービスが生まれる」
その言葉どおり、東海道新幹線の開業、そして大阪万博以後、近鉄の特急政策は、単なるスピード競争から大きく舵を切りました。

