紫式部が清少納言を辛辣に批判していたことは有名だ。一体何があったのか。十文字学園女子大学教授の赤間恵都子さんは「紫式部が宮仕えに出た時期は、皇宮定子が崩御した数年後だ。中宮彰子に仕える立場上、定子サロン文化を標榜する清少納言を叩くことが紫式部の使命だった」という――。

※本稿は、小迎裕美子・紫式部著、赤間恵都子監修『新編 人生はあはれなり…紫式部日記』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

“潔癖集団”の彰子サロン