ドラレコも立派な「監視」である
第二の論点に移ろう。監視は、公正さを保つ助けにもなる。
それをわかりやすく体現しているのが、最近普及してきたクルマのドライブレコーダー(ドラレコ)だ。
ドラレコが普及したのは、「乱暴なあおり運転をする人たち」が一定数いるというのが社会に知られるようになったからだ。車間距離をグイグイと詰めてきたり、前方にまわり込んで急ブレーキをかけてみたり、クラクションを鳴らしたりといった行為をする乱暴者たちが車道には存在するのである。彼らに対抗するため、そうした行為の自動記録をしておき、警察に証拠として提出できるドラレコが注目されるようになった。
あおり運転だけでなく、交通事故が起きたときにもドラレコは活用されている。交差点の衝突事故で、「どちらの信号が青だったか」ということで言い分が食い違ってしまうような場合、ドラレコは自分の正しさを証明してくれるのだ。
ドラレコに「監視社会だ」と怒る人はほとんどいないだろう。しかしドラレコも立派な「監視」である。古くさい「監視社会」論者は、この現代的な監視に説明をつけられるのだろうか。
監視はテクノロジーを進化させる
第三の論点。監視することが、テクノロジーを後押しすることもある。
21世紀のテクノロジーにとって最も重要な要素は、AI(人工知能)である。そしてAIが進化するためには、データがたくさんあることが必要である。
たとえば、2022年末から23年にかけて爆発的な進化を遂げたAIの分野に、ジェネレーティブ(生成型)と呼ばれるものがある。チャットGPTのような対話型AIや、ステイブル・ディフュージョンのような画像生成AIがそうだ。これらが劇的に進化したのは、それまでのAIが限定したデータをもとに訓練していたのに対し、インターネット全体をくまなくまわって収集した巨大なデータで訓練したからである。単純に言ってしまえば、データは多ければ多いほどいいのだ。