1980年代の「反・監視社会ブーム」

ところがこの「左派は国民番号に賛成、右派は反対」という構図は、1990年代ぐらいになるとなぜかひっくり返ってしまう。2002年にマイナンバーの前身のような住基ネット(住民基本台帳ネットワーク)という制度がつくられたのだが、これに左派系の新聞や市民運動が猛烈に反対したのだ。

住基ネットは住民票のデータを、自治体や国をむすぶコンピューターネットワークで共有しようというものだった。健康保険や年金、児童手当、選挙権、印鑑登録など生活のさまざまな行政サービスをひとつにまとめて、生活を便利にしようというものだった。

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写真=iStock.com/ponsulak
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この住基ネットで共有されるデータは、国民に割り振られた住民票のコードと、氏名・生年月日・性別・住所という四つのデータを全国の自治体や国で共有することで、どこでも本人確認ができるようにしようというものだった。

流出する危険が新聞やテレビでさんざん指摘されたが、クレジットカード番号などプライバシーな情報が扱われるわけでもない。仮に住所や名前が流出したとしても、それが実害につながることは考えにくい。

それなのに、なぜこれに左派が猛烈に反対したのか。

この問題を当時取材していたわたしの認識は、以下のようなものである。

一つめに、1980年代から90年代にかけて「反・監視社会ブーム」のようなものが起きていたこと。

きっかけになったのは、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』(邦訳版は現在、ハヤカワ文庫、角川文庫)である。刊行されたのは1949年だが、小説の舞台になっている1984年の未来がまさにやってきたというので80年代にブームになり、「国民を監視して思考改造をする独裁者ビッグブラザー」という内容がわかりやすかったこともあって、ちょっとでも監視社会っぽい話題になるとすぐに「それはビッグブラザーだ!」とメディアが騒いだりするようになった。

単なるブームに乗ったただのステレオタイプだが、このビッグブラザーブームに標的にされてしまったのが住基ネットだったのである。

根拠のない「テクノロジー恐怖症」

二つめに、それまでの国民番号制度の議論とは違って、住基ネットでは初めてコンピューターネットワークが利用されたという点。

戦後日本はテクノロジーで驚異的な経済成長を成し遂げたのにもかかわらず、20世紀の終わり頃にもなるとテクノフォビア(テクノロジー恐怖症)が蔓延するようになった。

現在でもわたしがAIなどの最新テクノロジーの話をテレビやイベントなどですると、すぐに「怖い、怖い」とみんなが言いたがる。まるで幽霊や怪異を怖がるようにして、テクノロジーに恐怖を感じているのである。だから、住基ネットも「自分たちのプライバシーが機械に吞み込まれる!」と根拠のない恐怖を感じてしまったのではないだろうか。

テクノフォビアからは、もうそろそろ脱却すべきである。そもそもテクノロジーの進化は決して後退することはない。もしテクノロジーが失われるとしたら、それはわたしたちの文明が滅びるときである。

古代ローマには、水道システムやコンクリート建築などその後の中世世界には存在しなかったさまざまな先端テクノロジーがあったが、ローマ帝国が滅びたことによってそれらのテクノロジーは失われた。そういうことが現代文明に今後起きない限り、テクノロジーの後退はない。

だったら、テクノロジーを活用して社会をより良くしていくことを考えたほうがいいのに決まっている。そもそもテクノフォビアが蔓延してしまったことが、平成30年間の経済停滞を招く要因のひとつだったのではないだろうか。