※本稿は、斎藤庸裕『大谷翔平語録』(宝島社)の一部を再編集したものです。
日本人初の大リーグ本塁打王
大谷翔平はメジャーで数々の歴史を塗り替えてきた。周囲の予想や偏見を覆し、見ている者を驚かせるのは、もはや日常茶飯事だ。時にそれは、「日本人選手」という文脈で注目されることもある。メジャーで日本人初の3年連続30本塁打、2度の40本塁打以上。2023年のレギュラーシーズンでは、体格やパワーでは劣るとされてきた日本人選手として、はじめて本塁打王のタイトルを獲得した。
大谷の数々の偉業は、自分の能力を信じて一心に前に進み続ければ、夢のようなことでも実現できる、そんなメッセージのようにも思えた。
先述のように、2021年6月には、オールスターの前夜祭で行われるホームランダービー出場を一番乗りで表明している。
野球選手としての好奇心が勝った
「依頼が来たので、考えて、出てみたいなというか、そういう気持ちが強かったのかなと思います」
「日本人でホームランダービーに出るっていうのは見てないので、単純に僕が出てなくてもこれから先、出る人がもしかしたらいるかもしれないですし、単純に見てみたいな、と。野球選手としてそういう気持ちのほうが強かったので、出ようかなと思いました」
初めてのことに挑戦する、挑戦できるワクワク感――。大谷自身、メジャーリーグの本塁打競争で優勝を目指すとは、子どもの頃に思い描いてはいなかった。
「高校の時はピッチャーのほうで(メジャーに)行くと思っていたので、こうなるとは思ってなかったですし、予想外ではあるかなと」
ホームランダービーに出場した選手たちは、シーズン後半戦で調子を崩すことも多い。しかし、その後の影響を考えるよりも、「やってみないことには。何事も経験してみないとわからないので」と、野球選手としての好奇心が勝った。打者・大谷としてメジャー屈指のパワー自慢たちと勝負する。まさに夢舞台だった。