子どもは助かり、助けに行った親が命を落とす
今年の夏の水難事故を振り返ると「娘と息子の救助に向かった父親が溺れた」という痛ましい事故が目につきました。
毎年のことなのですが、子どもを助けに向かった家族が命を落とし、子どもの方は助かる事故が繰り返されています。そういったニュースのコメント欄を読むと「子どものために命を落とすのは本望」とか「親として、子どものそばにいたい」とか、さまざまな意見が寄せられます。でも大人目線は少し横に置いておくとして、子ども目線になれば「そんなこと」を思うお子さんがいるのでしょうか。本当はみんなが助かって笑って過ごすことのできる毎日を望んでいたはずです。
水難事故の厳しい現実
水難事故の現実は、「浮いているか」「沈んでいるか」のどちらかです。
ほんの20年くらい前は、「救助隊が到着したら、捜索から」が当たり前だったくらい、水難事故では沈んでいました。親子の事故であれば、両方とも沈んでいました。海でも、川でも、池でもです。
最近になって、ようやく浮いて救助を待つ例が目立つようになってきました。現場の救助隊の皆さんからも、「無事救助できました」とうれしい声をよく聞きます。
「ういてまて」です。溺れそうになっても「浮いて呼吸を確保できたから、救助まで生きていられた」。つまり「ういてまて」とは「救助」と両輪の関係にある考え方のことなのです。
そのような中で「子どもは助かるのに、助けに行った親はなぜ溺れるのか」
それは、水難事故に遭うと子どもは「ういてまて」という考え方でいるのに対して、大人は「救助」と考えてしまうからなのです。最後まで「救助」と思い込んだ大人が命を失ってしまうことが多いのです。
助けに行った父親が命を落とした
地元の報道(山陰放送)によると、7月16日午後、男性は、妻・娘・息子などと、島根県出雲市の浜を訪れ海水浴を楽しんでいました。しばらくして小学生の娘と息子の姿が見えなくなったことに気が付いた男性は、妻と共に浜辺から沖合を探しました。海上に2人の子どもの姿を見つけ、父親が救助に向かいましたが、今度は3人とも姿が見えなくなってしまいました。
妻が近くにいた男性に助けを求め、救助が現場に向かいました。3人が海上で救助された際、男性はあおむけの状態で、2人の子どもは父親につかまるような状態だったということです。2人の子どもは命に別条なく、父親は搬送された病院で死亡が確認されました。