しかし、案件を発掘し、お膳立てをしたのは、イランで圧倒的な実績を誇っていたトーメンだった。

ハタミ大統領が来日した際の共同声明では、油田開発以外に、圧縮天然ガス自動車の導入促進での協力が謳われたが、これは、トーメンが東京ガスと組んで進めていた案件だった。

また、優先交渉権の見返りとして、原油の輸出代金を担保とする、30億ドルの国際協力銀行の融資(オイル・スキーム)が行われたが、これもトーメンが主導した。なお、この30億ドルのオイル・スキームについては、鈴木宗男衆議院議員が、融資した金が北朝鮮からミサイルを買うのに使われるとして反対した。今にして思うと、炯眼である。

実は、アザデガン油田は「犬も食わぬ」代物だった。(1)地層の構造が複雑で、油層も上下数層に分かれており、開発が一筋縄でいかない、(2)ガソリンや灯油の留分が少ない重質油である、(3)場所がイラクとの国境に近く、油脈がイラクのマジュヌーン油田とつながっている可能性がある、(4)イラン・イラク戦争の際に埋められた地雷が無数にある、という開発が極めて難しい油田なのだ。

しかも、イランとの契約が、通常の利権契約や生産物分与契約ではなく、「バイバック」だった。これは、油田の開発に投じた機器や人件費のコストに一定の利幅(IRRで10パーセント前後)を上乗せし、それに見合う量の原油を受け取るものだ。資金の回収は12年半という期間内で行わなくてはならず、それが終わると日本側は用済みとなり、生産設備をイラン側に引き渡して撤退しなくてはならない。利権契約というよりは、単なる機器とサービスの販売契約で、通産省のいう「日の丸油田」とはほど遠いのが実態だった。

(AP Images=写真)