ロシアに奪われたサハリン2の悲惨

一方、サハリン2は、ロシアのサハリン島で計画ないしは実施中の9つの石油・天然ガス開発プロジェクトの1つである。1986年に米国のエンジニアリング会社マクダーモットがソ連と開発交渉を始め、三井物産が資機材の販売やファイナンスでの役割を狙って参入したことに始まる。その後、米国の中堅石油会社マラソン・オイル、ロイヤル・ダッチ・シェル、三菱商事が加わった。1994年にロシア政府との間で生産物分与契約(PSA)が締結され、第一フェーズであるピルトン・アストフスコエ鉱区の本格開発が始まった。

サハリン2実施にあたって、スポンサー(出資企業)がもっとも懸念し、注意を払ったのが、ロシア(具体的にはガスプロム)にプロジェクトを強奪されないようにすることだった。生産物分与契約をはじめとする各種契約も、その点を考慮して念入りに作られた。しかし、契約や法律で守られていても、ロシアが相手では、力ずくで奪い取られる可能性がある。かつて1920年代から1940年代にかけてサハリンで操業していた日本の国策会社・北樺太石油株式会社は、ソ連から様々な難癖をつけられ、1944年に操業権を奪われた。

スポンサー側は、融資金融機関の中に、いざという時ロシア政府と交渉ができる米国の金融機関や、日米欧各国政府が出資する国際機関であるEBRD(欧州復興開発銀行)などを入れて盾にしようとした。

当初、シェルは「EBRDは融資できる金額も小さく、金利は高く、契約書の内容にうるさいので、要らないのではないか」という意見だったが、日本輸出入銀行(1999年10月から国際協力銀行)の森田嘉彦氏(現副総裁)がわざわざロンドンまで出向き、シェルの幹部にEBRDを融資銀行団に入れるよう頼んだこともある。

第1フェーズは、日本輸出入銀行、EBRD、米国海外民間投資公社(OPIC)からの融資を受け、総額約8億ドル(約880億円)を投じ、1998年に洋上プラットフォーム「モリクパック」を完成させ、1999年から石油の生産を開始した。この間、マクダーモットが撤退し、2000年にはマラソン・オイルも撤退。ロイヤル・ダッチ・シェル、三井物産、三菱商事の三社体制になった。