日本の電機メーカーは安易に工場を海外移転させた

また以前は、分野のみならず単体の商品そのものも似ているものが多かった。中国や韓国の電機メーカーには、明らかに日本製のコピー商品と言える商品が多々あったのだ。構造だけではなく、デザインまでそっくりなものが多く出回っていた。

実は、これは当然と言えば当然の結果でもある。

というのも、日本のメーカーは、早くから中国、韓国に工場を建てて、技術供与をしてきたからだ。

日本の電機メーカーは、1970年代ごろから急速に海外に進出し、東南アジアに工場などを建て始めた。

そして、1985年のプラザ合意以降は、その勢いが加速した。

プラザ合意というのは、アメリカ、日本、西ドイツ、フランス、イギリスの大蔵大臣と中央銀行総裁の会議で決められた合意内容のことである。これにより、5カ国は「為替安定のためにお互い協力する」ということになり、日本は「円高」を容認せざるをえなくなった。当時の日本は貿易黒字が積み上がっており(特に対米黒字)、円が実勢に比べて低いレートにあることが、問題視されていたからだ。

円高になるということは、日本製品の価格競争力が損われるということでもある。

これに危惧を抱いた日の丸メーカーは、海外進出を一気に加速させたのだ。人件費の安いアジア諸国に工場を移転し、製品の価格を抑えようと考えたのである。

そして、バブル崩壊後には、この動きがさらに加速した。そのため、90年代後半から、日の丸メーカーの海外移転が急速に進んだ。

グローバルなビジネスの概念
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技術が簡単に流出してしまった

日本の企業が海外に進出するということは、日本の技術の海外流出につながる。

企業がどれほど技術の流出防止に努めたとしても、外国に工場設備まで建ててしまえば止められるはずがない。そして進出先の国では、当然、技術力が上がる。

日本人が長年努力してつくり上げてきた技術が、企業の海外進出によって簡単に外国に提供されてしまうのである。

中国、台湾などの企業が急激に発展したのは、日本がこれらの国に進出したことと無関係ではない。日本がこれらの国で工場をつくり、無償で技術を提供したために、彼らは急激に技術力をつけていったのである。

現在の日本の電機メーカーなどの停滞は、もとはと言えば日本企業が安易に海外進出したことが招いたのである。

企業の論理からすると、当面の収益を上げるために、人件費の安い国に進出したくなるものであろう。が、これは長い目で見れば、決してその企業の繁栄にはつながらない。進出先の国でその技術が盗まれ、安い人件費を使って、対抗してくるからである。

つまり、日本企業は、自分で自分の首を絞めたのである。台湾の電機メーカー「鴻海精密工業」に買収されたシャープは、その典型的な例である。