堀江敏幸
1964年、岐阜県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程中退。その間、フランス政府給費留学生として留学。明治大学理工学部教授などを経て、2007年より現職。95年『郊外へ』で作家デビュー。99年『おぱらばん』で三島由紀夫賞。2001年『熊の敷石』で芥川賞。03年「スタンス・ドット」で川端康成文学賞。04年『雪沼とその周辺』で谷崎潤一郎賞、木山捷平文学賞。06年『河岸忘日抄』で読売文学賞小説賞、10年『正弦曲線』で同賞随筆・紀行賞。著書・訳書多数。
僕の仕事は、季節によって変わります。春休みは翻訳家、夏休みは小説書き、それ以外は大学教員というように。
大学は早稲田の文化構想学部という、小説家やジャーナリスト、評論家、編集者などを育成する学部に所属しています。僕は文芸担当で、今はちょうど卒論の真っ最中ですが、作品はすべて小説なんですね。
学生に対しては「てにをは」を直したり、この部分はこうしたら、というようなことは一切言いません。小説の書き方なんて、僕にもわからないからです。それに、そんなことをしたら、自分の文体ができない。教えられるのは一つだけ。書いたものは活字に残る、それだけです。
インターネットの書き込みと違って、印刷物は消すことはできません。半年後に読み返せば、たいてい恥ずかしいと感じるはずです。でも、それを乗り越えればまた書ける。逆に、恥ずかしくない人は、まだ次に進む時期に来ていないことになります。
だいたい、無理に卒論を書く必要はないんですよ。そんなことを言うと、事務の人に怒られちゃいますが(笑)、書けなかったとしても、書けなかったという事実を抱えて卒業できればいいと、僕は思うんです。それで、何年か経って、もし書けたら、送ってくれればいいんです。
熟成の期間は人それぞれです。だから、急がずに続けることが大切だと学生たちには話しています。
食べることも、書いたり読んだりすることと同じく、身体反応だと思うんです。この作品はいいと人に薦められても、おなかが痛くなったり、気分が悪くなったりすることがありますよね。文学的な評価とは関係なしに、その人の育ってきた言語的、身体的環境が、特定の言葉遣いを拒否してしまうこともあるわけです。
料理もおなじ。三ツ星のレストランの立派なメニューでも、身体に合わないことって、ままありますよね。
僕は、どちらかといえば、体が弱いほうなんです。ちょっと古いオリーブオイルが出てきたりすると、てきめんに胃腸にきてしまう。だから食事はほとんど家でとりますね。不幸なことに、外食に際しては、多くの困難が伴う体質なんです(笑)。
「イル コンソラーレ」は、下北沢を散歩中、ふらっと入った店。とてもおいしくて、たくさん食べましたが、情けない僕の胃腸でも、なんなく消化できました。「サイゴン」は、人に連れられていき、窓のすぐ側を路面電車が走っているのが面白くて、以来、近くまで行く機会があったら、立ち寄るようになりました。
後で知ったんですが、どちらも、良質な国産肉を使ったり、有機野菜を自分の畑で作ったりしていたんですね。食に関しては、僕は割に正確なセンサーを持っているのかもしれません(笑)。