「老害」は差別用語以外の何ものでもない

「妻ならば自分の変化を察し、優しくすべき」という夫の思考に問題があります。

「いわずとも察しろ」とは単なる甘えで、長年連れ添った夫婦であっても、双方の気持ちを完全には理解できません。人の感情は、言葉にして初めて相手に伝わるのです。そもそも、夫は怒る相手が違います。怒りの対象者にその思いを伝えられないのだとしたら、妻に「ちょっと聞いてくれないか」と怒りの内容を話す。そうすれば自分の怒りも昇華でき、理不尽に怒って妻を嫌な気分にさせずに済むはずです。

ストレスのたまった女性
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私も怒りっぽい人間です。だからこそ、怒りは丁寧に言葉にしています。最近は、「老害」という言葉にも怒っています。この言葉が最初に出てきた頃は、おそらく、年を取って判断力が落ちているにもかかわらず、権力の座にしがみついて、社会や組織にデメリットを与える政治家や経営者に対して使われていたと思います。ところが、最近は、人が迷惑だと思うことを高年者がすると、「老害」という言葉が使われるようになりました。

害をなす人間は、どの世代にもいます。それなのに、「少年害」「青年害」「中年害」という言葉はありません。「少年害」「青年害」「中年害」がないのと同様に、実のところ、「老(年)害」なんてものはないのです。ただ、「そうした人がいる」というだけのこと。それなのに、高年者にだけ「老害」という言葉を使う。これは、差別用語以外の何ものでもありません。

家族と同居している高齢者のほうが自殺しやすい

皆さんは、こんな事実をご存じですか。2022年、日本ではおよそ2万1000人の人が自殺したと公表されました。そのうち、8000人以上が60歳以上だったのです。なかでも自殺率が高いのは、家族と同居している人だといいます。

一人暮らしの高年者より、家族と一緒に暮らしている高年者のほうが自殺しやすいのです。二分割思考で考えてしまうと、「家族と同居していれば寂しくなくて幸せ」で、「一人暮らしは寂しく孤独」となりますが、現実はそうではない、ということです。

「家族に迷惑をかけている」、もしくは「家族の重荷になりたくない」という思いが、高年者は強くなりやすい傾向にあります。その思いが「自分には生きている価値がない」という深い悩みにつながり、老人性うつ発症の契機にもなります。それが、「子どもたちに迷惑をかけるくらいならば」と自ら命を絶つ選択につながりやすいのです。

「老害」という言葉には、高年者は社会のお荷物で、自分たちに不利益をもたらす存在、とする高年者蔑視が隠されています。そんな高年者を差別する感性が、政府を含めた日本社会全体を覆おおっています。その差別は、真っすぐに物事を捉える真面目な人たちに「老害になって、人に迷惑をかけたくない」という強い不安を与えています。何よりよくないのは、政府が失政を罪なき高年世代に責任転嫁していることです。