日本では、「老い」に対しネガティブなイメージを抱く人が多い。高齢医療の専門家・和田秀樹さんは「70歳以降は幸せを感じながら生きる『幸齢者』と呼んではどうか。幸齢者自身には『年を取ってもできること』の価値を見つめ直してほしい」という──。(第4回/全5回)

※本稿は、和田秀樹『幸齢者』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

「幸齢者」を目指した賢明な生き方

人間、70代にもなれば、以前ならできていたことが次第にできなくなっていきます。そのことを思い知らされるような体験をすると、つい腹立たしくなったり、悲しい気持ちになったりする。当然のことかもしれません。

とはいえじつは、70代でもかなりのことがまだできるのです。

ですから「できないこと」はもはやできなくなったのだ、と受け入れつつ、まだ残っている「できること」、つまり残存機能を今後も維持したり、いまの自分に何ができるのかについて、じっくりと見つめ直したりする――。

これが、「幸齢者」を目指した賢明な生き方だと思います。

運転するシニアビジネスマンドライバー
写真=iStock.com/Eleganza
※写真はイメージです

「できること」は立派な取り柄

パラリンピックは、障碍者に残された機能をいかにフル活用できるかを競う大会です。高齢者には、この「パラリンピック的発想」が必要です。

「できること」を現在の自分の取り柄として目を向ける姿勢が、自分を助けることになるはずです。なにも“ずば抜けた才能”である必要はありません。若い人から見れば傑出した能力とはいえないようなことでも、この年代以降の人にとっては、「できる」ことそれ自体が立派な取り柄になるのです。

40代のころは、周りの人と同じスピードで歩けることに喜びを感じることはまずないでしょう。しかし70代になって40代の人と同じ速度で歩くことができれば、それはとても素晴らしい残存機能ではありませんか。

毎日のごはんを料理して、たまにお客さんに自分が漬けた漬物を出すことができる。一人で買い物に行くことができる。誰とでも分け隔てなく話をすることができる。素直に人を頼ることができる……。そうした、ごく“ささやかなこと”ができるだけで、人生の支えになります。

裏を返せば、そうした“ささやかなこと”に幸せを感じられるようになる。それこそが、年をとることのよさでもあると思います。

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