年収500万円。でも、唯一納得いかないことが…

私は人生で2度、勤めていた企業を訴えたことがある。23歳の時は不当解雇された美容の商社を訴え、20カ月ほど法廷で争った後、和解金700万円を獲得した。安心したのもつかの間、中途入社した運送会社でも2回目の解雇通知書を渡されてしまう。しかしここでも約2年争った結果、最終的に解雇は撤回。4000万円の和解金(賠償金)を受け取る条件で、円満退社する運びとなった。

なぜ、私は合計4700万円もの和解金を得ることができたのか。今回は2社目との訴訟経験をもとに、不当解雇が抱えるリスクと会社との戦い方を解説する。

人生2度目の解雇通知書を渡されたのは運送会社から。私は配車係と呼ばれる仕事を担当していた。具体的な業務内容は、例えば大型免許を持つドライバーさんへ「大阪で荷物を積んでから、神奈川の工場まで走ってください」といった指示を出すもの。約15人のドライバーを担当し、基本給は額面で約22万円。月の残業は平均40時間前後。年収は残業代や賞与等、諸々込みで500万円ほどだった。

劣悪な雇用条件だとはまったく思わなかったが、唯一納得いかないことがあった。それは、突発的な事故や荷主とのトラブルで週休2日のうち1回は電話がかかってくることだ。

東京で働くビジネスマン
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役員からの説教後、わずか5日後に解雇通知

緊急対応の仕組みが組織的に整っていればいいのだが、残念ながらそこは考え方が古い会社で、「運送業だから」「ウチの会社はこうだから」といった企業勝手な理由により、勤務時間外のトラブル対応は配車係がセルフサービスで行うことになっていた。もちろんすべてサービス残業で、手当はつかない。

クビを宣告されたのは中途入社4年目を迎える頃、29歳の時だ。無休かつ無給のトラブル対応(会社携帯の対応)に疑問を覚えた私は、転勤を機に、仕事のオンとオフを切り分けることを上司に宣言した。けれどもサービス残業、言い換えるなら労働者の善意によって業務が成り立っている会社側からすると、私が自分勝手でワガママな権利を主張しているように感じたのだろう。また、これは実際に総務部長から言われたのだが、「自分たちが頑張ってやってきた努力をバカにされたような気持ちになった」そうだ。

在職中に一度だけ、総務部長と執行役員から「ちゃんと休日も電話対応しろ」と会議室でカミナリを落とされたことがある。真っ向から拒絶した私は、この説教日からわずか5日後、解雇通知書を渡されてしまった。そこには〈貴殿が希望する帰宅後、休日の電話が無い環境を会社が用意できないため〉との記載があった。裁判での会社側の主張によると、私のような社員の考え方、働き方ではお客さまの迷惑になるし、周りの社員にシワ寄せがいくことの懸念が根底にあったようだ。