HUGEのカリスマ社長、新川義弘が吉祥寺に第一号店「カフェリゴレット」をオープンしたのは06年のこと。そのオープニングパーティーに実田の上司、小野藤太郎の姿があった。新川が言う。
「手前味噌になりますが、僕、オープニングパーティーやるとミッキーマウスになってしまうんです。何百人ものお客様と挨拶しなくちゃいけない。吉祥寺のオープンのとき、小野さんはタキシードを着てこられて『気持ちを手紙にしたから読んで』って。手紙には、アサヒビールをよろしくなんて一行も書かれていないんです。男、小野だと思いましたね」
新川と小野は新宿コマの再開発でも絡みがあったが取り扱いには至らず、「カフェリゴレット」のビールもすでに他社に決まっていた。小野は吉祥寺に、文字通り挨拶のためだけに行ったわけだ。それも、とびきり印象的な演出で……。
09年、スカイツリーのリーシングが本格化すると、東武鉄道サイドから「夜のマグネット」すなわち夜間の集客の核となる店として「リゴレット」の名前が挙がった。一方、HUGEは、ちょうど六本木ヒルズに「新(ARATA)」をオープンするタイミングにあった。実田は東武の意向に応えるため、新川と接触するチャンスを求めて「新(ARATA)」のオープニングパーティーの入り口で新川を待ち伏せた。再び、新川の証言。
「実田君が、ガーッとこっちの目を見ながら、グッと手を握ってくるのよ。痛いぐらい。『あんたとやるぞ』みたいなパッションが、グワーッときましたよね」
しかし、新川はつれなかった。今度は実田の証言である。
「社長、一度じっくりお話ししたいですと言ったのですが、『アサヒさん、いままで何のアプローチもなくてさ、まずは物件でご一緒したいよね。そうじゃないなら5年ぐらい来なくていいよ』って(笑)」
物件とは店舗物件の紹介である。元グローバルダイニングの社員だった新川は、当時からキリンビールとのつながりが深かった。05年に新川が独立した際には、後に登場するキリンビールの島田新一が「新丸ビルでやりませんか」と、速攻で物件話を持ちかけている。さらに言えば、「新(ARATA)」の後にオープンした横浜の「ザ リゴレット オーシャンクラブ」はサントリーの紹介物件。新川とアサヒの縁は、それまで皆無だったのである。取りつく島がない。
実田は一計を案じた。オーシャンクラブのオープニングに、新川と面識のある小野に出向いてもらうことにしたのだ。小野は再び新川に手紙を渡し、再び鮮烈な印象を残した。新川が言う。
「小野さん、スマートですよね。翌朝のメールっていうのはよくあるんだけど、なにしろ1日に250通以上も来るでしょう。でも、手紙はしっかりと机の上に残っているわけですよ」
その後新川は、東武鉄道のプレゼンテーションルームに招かれて東武のプロジェクトリーダーと小野、そして実田からスカイツリーの模型を前に、正式に出店の打診を受ける。押上という立地が「リゴレット」のイメージとかけ離れていたため、当初、新川に出店の意思はなかった。しかし、実田が出店場所の候補として指さした区画に、新川は目を疑った。そこはソラマチのビルの中ではなく、スカイツリーの直下に位置し、デッキに面した最上のスペースだったのである(現在リゴレットがあるソラマチの2階)。
「いやあ、その瞬間にどれだけ僕に期待してくれているかがよくわかりました。実田君がまた、僕の手をギュッと握ってこう言うんです。『社長、ここに社長の城をつくりましょう』って」