一連の経験は「果たすべき役割」を探す試行錯誤の過程だったというのである。いま岩瀬は、必要なだけの保険をリーズナブルな価格で販売するという、ごくまっとうな仕事に取り組んでいる。そのことが結果として業界から理不尽を追放し、多数の国民に利益をもたらすと信じるからだ。

社会的な活動に情熱を燃やすのも同じ理屈で、たまたまその国に生まれたから、その国で働いているから、その場にいる者の責任として問題解決にあたるのだ。時間をさかのぼって責任者を追及するとか、批判者のままでいるといった非能率なことは好まない。いうならば徹底した行動主義。これは岩瀬に限らず、高島や小林、久保田ら30代リーダーに共通した資質である。

岩瀬は20年の日本について「よくなっているか悪くなっているかは、われわれ国民の意思にかかっている」と指摘する。いまの日本人には果断な行動力が欠けていると感じるからだ。

「問題は、みんなが痛みを嫌がることです。増税より経済成長が先だと主張する人もいますが、現実には経済成長をさせつつ、支出をカットし、税金を増やすしかありません。3つとも同時にやらなければいけないのに、年金の減額も医療費の自己負担増、増税もすべて嫌。経済成長のため生産性の低い会社に市場から退出してもらうのも嫌。結局は何も動かない。わがままはやめて、痛みを分かち合うようにしなければいけないと思います」

そのためには、頭の中身を取り換えるくらいのことをしなければならない。たとえば「お上と弱い自分たち」を対立的にとらえるのは「当事者意識の欠如にすぎない」と岩瀬は切り捨てる。民主主義下の「お上」とは当然ながら国民の代表であり、「彼ら」ではなくあくまでも「私たち」だ。

「村レベルの小さな地方自治体とかコミュニティのレベルであれば、もう少し当事者意識があると思うんです。政治がもし村の寄り合いならば、みんなで話し合って責任ある議論ができる。それが中央へいくと、意識が希薄化してしまう。だったら、地方への分権化を進めて、当事者意識を持てるようにするのがいいのかもしれません」

険しい表情で岩瀬は話す。短期間のうちに人々の意識を変えねばならない。その責任を感じている顔である。

(文中敬称略)

※すべて雑誌掲載当時

(的野弘路、本田 匡=撮影)
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