称賛を浴びた「愛国主義」をめぐる女王の哲学

「本当の愛国主義とは、他人の愛国主義を理解することです」

愛国主義についての本質を突いたと称賛される言葉。愛国主義は、とかく自分の愛する国以外の国を愛することを許さない、狭い考えに陥りがちだ。自分の国を愛することは、他人の国を愛する気持ちを理解することであると語りかける。その深い哲学に思わず胸をつかれる。

私たちは、自分の愛する国だけを尊び、他の人にもまた愛する国があることまで思いをめぐらせないもの。自分の考えや行動を思わず振り返りたくなる。

メンタルの安定を支えた「秘密の日記」

「エンバンクメント、ピカデリー、ペル・メル……。ただひたすら何マイルも歩いた。午前(深夜)0時半にバルコニーに入る両親を見て、食事をして、パーティーをして、午前3時に寝た!」

多賀幹子『英国女王が伝授する 70歳からの品格』(KADOKAWA)
多賀幹子『英国女王が伝授する 70歳からの品格』(KADOKAWA)

これはエリザベス女王が、第二次世界大戦でイギリスが勝利した日のことを綴った日記の中の一文だ。当時19歳のエリザベス女王は、妹マーガレット王女と共にロンドンの町に繰り出した。人々が楽しそうに歓声を上げダンスをしてパーティーを繰り広げているのを見て、加わりたかったのだろう。これは、史実に基づいた映画『ロイヤル・ナイト――英国王女の秘密の外出』(2015年)として公開された。

女王は幼い時から日記をつけていた。それは、「君主」としての重責に対応する大事なすべでもあった。君主としての日々はいつもうまく行くわけではなく、失敗も少なくなかったから、自己嫌悪に陥ることもあっただろう。

女王が心の内を明かすのは、母親のエリザベス皇太后と妹だった。長女アン王女が成長すると、王女にも打ち明け話をした。母と妹が続けて亡くなったあとは、4人の子どものうち、ただ一人の女の子であったアン王女によく話をした。

国葬の際に、亡くなったスコットランドのバルモラル城からエディンバラ、そしてロンドンのバッキンガム宮殿から棺の一般公開場、葬儀が行われたウエストミンスター寺院、埋葬地ウィンザー城まで、片時も棺を離れることなく付き添ったのがアン王女で、これは女王の希望だった。

「君主」をやっていくために家族の支えを求め、同時に忙しい時間をやりくりしてほぼ毎晩日記をつけた。そこには出来事を振り返っての感想や、会った人たちの名前や印象などを書きつけた。記憶の確認のためでもあり、誰にも言えない感情を吐き出すためでもあった。今後のための貴重な覚え書きでもあっただろう。英王室最長の在位70年を全うするため、女王が重視したのは精神的安定だった。

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