イギリス国民の3人に1人が女王に会ったことがある

名君主として献身的に働くと同時に、家庭を大切にした。初恋の人であるフィリップ殿下と結ばれ3男1女に恵まれた。しかし、4人のうち3人が離婚(2人が再婚)し、次男アンドルー王子が未成年者の性的虐待疑惑で訴えられる。女王は忙しさのあまり子どもたちに十分な愛情を注ぐ時間がなかったためかと、自分を責めることもあった。

子どもばかりでなく、孫のヘンリー王子はメーガン妃と結婚後、王室離脱してアメリカに住む選択をした。高位王族としての責任と義務から逃亡したばかりでなく、アメリカの媒体を使って王室批判を繰り返す。それは二人に多額の収入をもたらした。女王は晩年に子や孫の起こしたトラブルに苦しめられる場面が多かった。

それでも女王の国民と共にありたい、との意思はゆるがなかった。「信じてもらうためには見てもらわないといけない」と考え、年齢に関係なく服装は鮮やかな色彩を選んだ。赤やオレンジ、黄色などのワントーンカラーだった。前から後ろから横からもすぐに見つけてもらうためだった。明るい色で「女王にお会いできてよかった」と思ってほしかった。

BBCのアンケート調査によると、国民の3人に一人が女王に会ったという。「会う」といっても、勲章授与の際に親しく話すレベルから、テープカットに町を訪問した女王を一瞬見かけたレベルまで、程度は様々でも見たことに間違いない。「開かれた王室」を目指した女王は、国民との触れ合いを最も大切にした。

バッキンガム宮殿
写真=iStock.com/Nigel Harris
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ラジオを通じた「君主宣言」で国民の心をつかむ

「私の全生涯を通じ、真心を込めて、皆様の信頼に応えられるよう努力します」

1953年6月2日、ロンドンのウエストミンスター寺院で戴冠式を終えると、国民にラジオで話しかけた。父の崩御時25歳だった2児の母に「君主」が務まるのか、女性リーダー不在の時代、危ぶむ声がなかったわけではない。その不安や危惧を女王の力強い宣言は吹き飛ばし、女王がただものではないことを知らしめた。

イギリスは「女王の時代」に栄える。エリザベス一世、ビクトリア女王に続いて登場したエリザベス二世。シンプルながら誠意がにじむ「君主宣言」で、国民の心をわしづかみにした。

「私の戴冠式は、未来への希望の宣言です」

これも女王の戴冠式でのスピーチ。第二次世界大戦では、イギリスは連合国軍と共にナチス・ドイツと戦い、勝利はしたものの、甚大な被害を受けた。ロンドンなども無数の建物を爆撃により破壊され、死傷者も多かった。国民の苦しみと悲しみは大きかったのだ。戦後の女王の戴冠は新しい時代を予感させ、希望の光となった。女王もまた、そうした国民の期待を感じ取り、それに応えたいと抱負を述べたのだった。