クラウスは、これこそが、最先端の現代物理学まで連綿と続く物理学の基本的方法論だとし、つぎのように言っています。
「新発見がなされるとき、いつも中心的役割を果たすのは、抜本的に新しいアイディアである──こんな言葉を信じている人もいるのではないだろうか。しかし、本当のことを言えば、たいていはその逆なのだ。古いアイディアは生き延びて、あいかわらず多くの実りをもたらしてくれることが多くある」
「古いアイディアの焼き直しが毎度のようにうまくいったから、物理学者たちはやがてそれに期待するようになった。新しい概念もたまには登場するけれど、その場合でも、既知の知識の枠組みからむりやり押し出されるようにして生まれてきたものにすぎない。物理学が理解可能なのは、まさにこの創造的剽窃行為(creative plagiarism)のおかげだ」
経済学でも、歴史を変えた本はいくつかあります。それらは、それまでの理論の上に立っています。しばしば、「いまの世界を根本的に良くする方法」などというアイディアがありますが、中身は何もありません。これらは、偽りの独創性に過ぎません。
模倣からの脱却
通常は独創的な発想が必要と思われている数学や物理学においても、以上で述べたように、「模倣なくして創造なし」という原則が正しいのです。
ただし、誤解のないように、つぎの点を述べておきましょう。それは、「模倣なくして創造なし」とは、「創造に至る出発点が模倣だ」ということです。模倣だけに留まっていては、進歩がないことは明らかです。
「パタンに当てはめるだけでは、定型的な思考しかできない」という批判に一定の真理が含まれていることは、事実なのです。既存のパタンに束縛されると、自由な発想ができません。多くの問題は定型的パタンの当てはめで解けますが、それに終始しては限界があります。パタンの当てはめと、それから脱却しようとする努力を適切にバランスさせることが必要なのです。
これは、きわめて難しい課題です。
受験レベルでは「点取り虫、大いに結構」
もっとも、これは専門の研究者の場合です。学校での勉強に関する限り、新しいものを付け加えることは要求されていません。これまでの知識の体系を正しく学ぶことだけが要求されています。
それだけで、学校の試験も通るし、入学試験も通ります。中学の入試から大学入試に至るまで、新しいものを創造する能力がテストされることはありません。
テストされるのは、これまでの方法を理解し、それを使えるかどうかです。ですから、「点取り虫、大いに結構」ということになります。それこそが求められていることです。