※本稿は、野口悠紀雄『超「超」勉強法』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
AI時代には勉強する必要はなくなるか
AI(人工知能)の力で、検索がますます容易になり、かつ強力になっています。
スマートフォンに向かって質問するだけで、答えを出してくれます。また、セマンティック検索が可能になりつつあります。これは、ユーザーの質問が曖昧であっても、検索意図を検索エンジンが推測し、ユーザーが求めている検索結果を提供する技術です。
最近では図形認識の精度が上がってきたため、スマートフォンで撮った画像があれば、それで検索することもできるようになりました。これによって、例えば、花の名を知ることができます。
こうした技術は、今後もますます進歩するでしょう。そして、ますます詳細な情報を、ますます大量に提供してくれるでしょう。
これは、有能な物識りをいつも連れて歩いているようなものです。これによって、われわれの世界認識は大いに広がるでしょう。
「良い質問」が決定的に重要になる
AIに聞けば何でも教えてくれるのであれば、人間が勉強して知識を得る必要はなくなるようにも思えます。では、「人間は知識を持っていなくてよい」「知識を得るために勉強する必要はない」ということになるのでしょうか?
決してそうではありません。
その第1の理由は、「何を質問するか?」こそが重要だからです。つまらない質問しかできなければ、つまらない答えしか返ってきません(これを、「愚問愚答」といいます)。AIは、質問に対して答えるだけで、「どんな質問をしたらよいのか?」は教えてくれません。
アメリカの教室で適切な質問をすると、教授から「良い質問だ」という答えが返ってきます。「良い質問」をするのは、質問者が高い能力を持っている証拠なのです。そして、その能力は、勉強によって得られたものです。
勉強しない人は、能力を高めることができず、したがって、いかに高度なAIに対しても、つまらない質問しかできません。「宝の持ち腐れ」とはこのことです。「猫に小判」といってもよいでしょう。「豚に真珠」ともいえます。
AI時代においては、「良い質問」が決定的に重要になるのです。