2010年代から本が出せなくなった

ところが2010年代に入ったあたりから、出版業界には不穏な空気が蔓延しはじめた。そして僕はついに、注文に応じて書き上げた小説を刊行してもらえないかもしれないという局面に見舞われた。うちひとつは、朝日新聞出版の文芸誌『小説トリッパー』に連載していた『出ヤマト記』(一人の少女が、自らのルーツを探って、北朝鮮を思わせる「北の共和国」に単身、潜入する物語)だ。この長篇作品を単行本化するという企画が、企画会議で却下されたというのだ。

理由は、「平山瑞穂」名義で刊行された本が売れたというデータが、(版元の如何を問わず)ほとんど存在しなかったからだ。僕に対してはすでに、連載中に支払った原稿料という投資がなされていたわけだが、単行本化してもそれを回収できないばかりか、むしろ赤字が嵩むばかりだと、企画会議に列席した(編集部以外の)人々は判断したのだ。

『小説トリッパー』への連載は、連載終了後の単行本化を当然の前提とした話だったので、もちろん僕は、愕然とさせられた。さいわい、担当編集者が食い下がってくれて、翌月の会議に再度諮り、刊行についてのゴーサインをかろうじて勝ち取ることができたし(『出ヤマト記』は、2012年4月刊行)、万が一、本にしてもらえなかったとしても、連載時に原稿料はもらっていたわけだから、まるっきりのただ働きになるというわけでもなかった。

書き下ろし小説も出版してもらえない

しかし2011年、角川書店から刊行される予定になっていた『3・15卒業闘争』については、事情が違っていた。こちらはほぼ書き下ろしだったにもかかわらず、刊行を前にして、それとそっくりの事態に立ち至るなりゆきとなったのだ。

そこに至るまでの経緯について触れておこう。

2008年に出版した7作目の小説『桃の向こう』がセールス的に惨敗となってから、角川の担当編集者たち(『野性時代』の担当と、書籍編集部の担当)は、僕の生き残りを賭けた起死回生の策をあれこれと練ってくれた。提案されたのは、「日本推理作家協会賞」の短編部門での受賞を狙って、『野性時代』に勝負作としての短篇小説を掲載するというプランだった。「受賞作」の名を冠すれば、単行本のセールスも格段に上がるはずだったからだ。候補作は、毎年、ある期間中に刊行された、いくつかの特定の文芸誌に掲載された作品から選ばれる。『野性時代』も、そうした文芸誌のひとつだったのである。