あまりに少ない初版部数

翌月、担当が提示したデータが具体的にはどういう内容だったのか、役員らがそれにどれだけ本当に納得したのかは不明だが、刊行は首の皮一枚といったところで認められた。ただし、初版部数は3000部まで削られた。3000部といえば、純文学の書籍の初版部数を思わせる数だ。僕は当初、初版では6000部から7000部くらいは刷ってもらえていて、それが次第に5000部、4000部と減らされていったのだが、3000部という数には、さすがにかなり打ちひしがれた。

おそらく彼らも、編集者が提示したデータに納得したというよりは、「まあ現に、注文に応じて書かれたという完成原稿が存在してしまっているのでは、(経営判断としては不可でも)道義的にいって出さないというわけにもいかないだろう」という考えから、しぶしぶ刊行を許したといったところだったのではないかと想像する。しかし赤字の額はできるだけ小さくしたいから、初版部数を可能なかぎり減らしたのだ(初版部数が少なければ少ないほど、その本は、連日、山のように出版される新刊本の中に埋没してしまい、いっそう売れなくなるのが道理なのだが)。こうして『3・15卒業闘争』は、2011年11月に単行本として刊行された。

新宿の紀伊國屋書店
写真=iStock.com/TkKurikawa
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3000部では書店で注目もされない

平山瑞穂『エンタメ小説家の失敗学 「売れなければ終わり」の修羅の道』(光文社新書)
平山瑞穂『エンタメ小説家の失敗学 「売れなければ終わり」の修羅の道』(光文社新書)

かなりエッジの効いた風変わりな作品だったので、仮に初版で6000部刷られていたとしても結局は売れなかったかもしれないが、3000部では注目を集めるのが本当にむずかしく、セールスは例のごとく惨憺さんたんたるものだった。ただ、少なくとも『ラス・マンチャス通信』を歓迎してくれていた層にはこの作品もおおいに支持されたし、僕自身は、今でもこの作品を傑作だと自分では信じている(たとえあらかたの読者に受け入れられなくても)。

いずれにしても、この業界特有の、発注のタイミングをめぐる道理の通らない慣行は、本来なら、可及的すみやかに改めるべきものだと思っていた。役員や営業サイドの人々は、どうせ数字しか見ていないのだから、その作家の作品を刊行できるかどうかは、発注の前の時点で答えが出ているはずだ。つまり、まず企画会議で刊行の是非について結論を出してから、初めて発注をかけるという順序にすべきなのだ。ただ、その理屈を突きつめていくと、作家にとっては非常に具合の悪いことになってしまう。